戦国時代。小谷城の戦い 織田信長はどこから来たのか? 砂埃をたて、信長が誇る精鋭部隊が通り過ぎて行った。 この前日、浅井への総攻撃を命じていた信長。 1573年の史実では、3000人の兵で秀吉が京極丸と小丸城を一夜で落としたとある。しかし、本城である小谷城に、浅井はまだ5000人の兵を温存していた。 小谷城の戦いは秀吉が奇襲をかけ、その後、信長が自ら参戦したという記述が残っているが、では、どこから信長は参戦したのか。 小谷山と、本城小谷城、京極丸、小丸、大嶽砦の位置 織田信長は大嶽砦という山の頂上にある砦を陥落したと、以前のブログに書いたように、まず浅井の援軍である朝倉勢の取り崩しからはじめた。 小谷山の頂点にある砦『大嶽砦』を落としのち、逃げる朝倉義景を追って一乗谷まで遠征、これを討ち取ってきた。 その足で、ついに浅井に牙を向いたのだ。 大嶽砦は朝倉の父が居城とした小丸城のさらに上にある
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