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増田文学に関するyukkikki08のブックマーク (8)

  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
  • 50代独り身おじさんの自分語り

    大学卒業後就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり。 母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設に就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職し現在も勤務する私立病院の事務職に就いた。この時41歳。 そこで知り合ったのが。 同い年でバツイチの看護師。自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性と交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。 約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮を全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯べて、仕事行って、ご飯べて、各々読んだりテレビ観たりして、2

    50代独り身おじさんの自分語り
  • 明日から私は一人で寝る

    小学1年生、4月から2年生になる娘が言った。 「明日からは一人で寝たい」 我が家は21時を目標に家族の寝室に連れていく。 そこからが微妙に長かった。 娘はオリジナル曲の奇怪なダンスをしたり、お気に入りのぬいぐるみを並べてごっこ遊びをしたり。 1日にあった出来事を話したり、突然宇宙や自然のことを話し出したり。 早く寝て欲しくて明日も幼稚園だから!と注意するのが、明日も小学校だから!に変わっておおよそ一年。 先月まで一人で寝るのは怖い〜と寝かしつけを欲してきた娘が、今夜、あっさりと明日からは一人で寝る宣言をしてきたのだ。 あの舌っ足らずの意味不明な歌詞のうた。 全身をバタバタするダンス。 ぬいぐるみの前で幼稚園の先生ぶって遊ぶ仕草。 思わず笑いそうになりながらも、早くベッドに入りなさいと言った。 ベッドに入ってからもおしゃべりはとまらない。 ニコニコしながら話す1日のダイジェスト。 これから

    明日から私は一人で寝る
  • 赤ちゃんプレイ風俗嬢にロリータ沼に沈められた話 - 小汚いオカマ日記

    今週のお題「自己紹介」 (あらすじ) サイコパス上司に激詰めされて精神を破壊されていた俺は、赤ちゃんプレイ風俗という見えている地雷に飛び込んだところ、普通に美人が出てきてしまいガチ泣きながらおっぱいを吸って赤ちゃんになってしまったのだった! これもう2年前の2年前だから4年前の話なんだねぇ……この記事の続編ということになります(こっちも読んでね!) 赤ちゃんプレイ・ツヴァイ 昨日の嬢が、いや『赤ちゃんプレイ』という世界の真理を垣間見てしまった俺は、次の日も赤ちゃんプレイ風俗店に電話していた。 その日も上司に詰められて、同期から「流石にあれはパワハラだから人事の人に言ったほうがいいよ……!」と言われていたが、当時新卒の俺は『最初に入った会社を絶対に辞めたくない』『むしろ悪いのは仕事が出来ない俺なんだ』という思考に陥りつつも、内から溢れ出すストレスを抑えきれずに『2日連続赤ちゃんプレイ風俗』と

    赤ちゃんプレイ風俗嬢にロリータ沼に沈められた話 - 小汚いオカマ日記
  • 人生でよかった時間 3選

    大学のとき帰省して地元を散歩したとき大学1〜2年くらいのとき、たしか春休みに帰省して、暇だったからちょっと散歩に出た 中学くらいからずっとインドア派だったから地元を歩くのは久しぶりで、なんだったら未就学児のときぶりに歩くようなところを歩いた 当時好きだった公園に行ってみようと思い立って、記憶をたどって歩いてたら、思ってたところにはたどり着かず、でも桜がたくさん咲いているいい感じの広場に出た まあ、言っても大したことはないし、桜だって別に満開ではなく、だから花見の客もいなかったんだけど、それはつまりその場には俺しかいなかったということで、広い空間と桜を独り占めしている形だった 正直痺れた 素直に良いところだなあ、と思った 春そのものみたいな気候で、まばらな雲の向こうで青空が綺麗だった 花の匂いがしていた 豊中市街の散歩豊中市の都市緑化植物園に行こうってことで、彼女と電車に乗って行った 曽根に

    人生でよかった時間 3選
  • 精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝

    世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯って寝て暮らしている。 俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。 そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。 親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど) 小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりと

    精神障害者の俺、手切れ金としての年金、この世界への感謝
  • 5年くらいセルフネグレクトしてたこと

    弱者男性のセルフケア云々の話をぼんやり読んでいて思い出したことを書く。 自分の話であって弱者男性の話というわけではないが。 たぶん年数にして5年くらい、セルフネグレクトをしていた。 きっかけは前の職場を鬼セクハラと鬼パワハラでやめたことだ。 状態で1年間くらい動けず、生活費が尽きて派遣やアルバイトをしていたが 遅刻したり休んだりで一つの職場で長く働けず金がなかった。 部屋は汚部屋で、服とゴミとが部屋中に散乱した上を踏んづけて暮らしていた。 洗濯機が壊れても買い替えられずにコインランドリーに通っていて、 毎日洗濯した清潔な服を着ることのハードルが無意味に高かった。 歯をほとんど磨いていなかったので、虫歯で口の中がぼろぼろだった。 奥歯に穴が開いてべ物がいちいち詰まるのが煩わしかった。 生活は適当で、たまにコンビニでアホみたいに買い込んで全部べてしかも吐いたりしないので、大体30kg体

    5年くらいセルフネグレクトしてたこと
  • あえぎ声を書くバイト

    大学時代、ひたすらあえぎ声を書くバイトをしていたことがある。 先輩から紹介してもらった、エロゲメーカーのバイトだ。 その会社のエロゲはストーリーに力を入れていて、所属するライターも自分の文章にプライドを持っている人ばかりだった。 彼らからすると、Hシーンのあえぎ声を書くなどというのは苦痛でしかなく、学生バイトにでも任せておけということになったらしい。 仕事がどういう感じだったかというと、 1. まず、「チャックを開けた」とか「腰を動かすスピードが速くなっていく」といったHシーンの「ト書き」部分だけを渡される。 2. ここに私が「んっ……」とか「あんっあんっ」といったあえぎ声をてきとうな塩梅で足していく。 3. シナリオライターのチェックを受けて終了。 という流れだった。 簡単に思えるかもしれないが、これが意外に難しい。 まず、Hシーンにはある程度の長さがあるので、その範囲内で的確に盛り上げ

    あえぎ声を書くバイト
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