日本とideaに関するyume_mayuのブックマーク (2)

  • 物語とは何か? 日本人とは何か? 内田樹と高橋源一郎が語る「この国のかたち」

    インターネット上で募集したショートストーリーをまとめた『嘘みたいな当の話』(イースト・プレス)が話題を呼んでいる。「戻ってくるはずがないのに、戻ってきたものの話」「犬との話」「あとからぞっとした話」などさまざまなジャンルごとに応募された1,000文字以内の掌編作品が詰め込まれた書。アメリカ人作家・ポール・オースターがラジオで作品を募集して大成功を収めた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の日版だ。 書に収められた149にも及ぶ作品は、そのどれもが、誰もが人生で一度は経験があるような、ちょっと感動させられる話や、ひやっとした気持ちにさせるもの、くすっと笑わされてしまうものなど、日常の些細な出来事を追った物語ばかり。しかし、一般的な読者投稿よりもレベルが一段上なのは、選者である内田樹と高橋源一郎による功績が大きいのだろう。 そして、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト(以下、

    物語とは何か? 日本人とは何か? 内田樹と高橋源一郎が語る「この国のかたち」
  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

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