精神論の一つに、『努力』がよく用いられる。だが私は、精神論で努力を語らない。精神論として『努力』を扱っている限り、本質を見誤るからだ。 私なりの努力の定義は、『長く(多く)何かに取り組むこと』だ。どれだけ頑張ったか、どれほど苦労が伴ったかは関係ない。どれだけ長く、多く取り組んだかが重要なのである。そこに、精神論が入る余地はない。 『努力』から、頑張るを除外する 精神論で努力を扱っていると、頑張っていることに満足してしまう。「こんなに頑張っているのだから、効果あるよな」と。 頑張ろうが、そうでなかろうが、長時間何かに取り組んでいれば、誰だって上達する。頑張る(苦労)は関係ない。むしろ、『頑張っている』の状態が続けば、人は継続しなくなる。なぜなら、『頑張っている』は、精神的ストレスを重ねている状態だからである。一定のストレスが溜まった場合、人は努力するのを止めてしまう。 努力は、精神的ストレス