2009年2月27日のブックマーク (5件)

  • 狐の王国 「やりたいこと」や「個性」なんて無くていいんだ

    たまたま、俺は周囲に子供がたくさんいる環境で育って来た。今も子供が次々生まれているし、かわいがっていた子供が子供を産んで連れて来たりしている。もう家族みたいなもので、弟分、妹分と呼んでいる。 そういうわけで、子供たちの進路の悩みなどを聞くこともある。思春期の生意気さを相手にすることもある。 最近は減って来たが、「やりたいことを探す」とか「個性が大事なんだ」とか言う子供たちがけっこういた。俺自身がやりたいことをやって来たし、どちらかというと個性的と言われる人間だから、それを真っ向から否定するのは恥ずかしい事のような気もする。 だが、敢えて否定したい。「やりたいこと」や「個性」などどうでもいいものなのだ、と。自分らしくとか、自分らしさとか、当にどうでもいい。そんなものは探したり求めたりするものじゃないんだ。 そういうものに惑わされて、自分がどうしたらいいかわからなくなった子供たちを何人か見て

    yunyunsuke
    yunyunsuke 2009/02/27
    個性もやりたいことも、その人の内側から自然とにじみ出るもの/他人の存在が力になる。「人さまの為になることをしなさい」
  • (個性 / 社会) × 能力 = 「適性」 - 世界のはて

    「使えない個性」も、人にとっては無価値ではない ・『使えない個性は、要らない個性。』 「俺はこんなにSTGが上手いのに、それを認めない日は間違っている!韓国のようにプロゲーマー制を一刻も早く導入し、日が世界に誇る貴重なゲームプレイの才能を活用すべき!」 と憤っていた若かりし頃の僕(参照)にとっては耳が痛い話、ではあるw このエントリでid:p_shirokumaさんが言っていることは、娑婆の一面の真理ではあると思うんだけど、価値基準を社会や他人に置いた方向にバランスが偏っているな、と感じる。 僕の「STGが上手い」という「個性」は、確かに社会ではほとんど「要らない個性」ではあるんだけど、それは社会にとっての話であって、僕自身にとってこの個性は、大きな楽しみとして人生を充実させる一助となっており、それは無価値ではないと日々感じている*1。 http://d.hatena.ne.jp/p

    (個性 / 社会) × 能力 = 「適性」 - 世界のはて
    yunyunsuke
    yunyunsuke 2009/02/27
    社会において役立ちそうな個性を自分の中から探す=適性/西原理恵子の言葉「夢を叶えることに行き詰まったら、それでどう稼げるか考えろ」に通ずる
  • 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠

    21世紀が始まった頃、個性がやたらと礼賛された時期があった。 『ゆとり教育』。 『ナンバーワンよりオンリーワン』。 『自分らしさ』。 『世界にひとつだけの花』。 【個性的であること=かけがえのないこと】という夢いっぱいの観念を、老若男女を問わず、誰もが礼賛するような空気が、日じゅうに蔓延していた時期を、あなたも覚えている筈だ。 個性を礼賛した結果がこれだよ! その結果、何が起こったのか? 個性を礼賛し、個性を追求し、“自分らしさ”へと突き進んだ青少年の大半は、個性を賞賛されることもないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている。自分の個性が生かせない仕事はしたくない・働いたら負けだと思っている・自分の個性を大事にしてくれない社会が悪い・自分の才能を見抜けない上司が悪いetc…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで“当の自分”

    『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠
    yunyunsuke
    yunyunsuke 2009/02/27
    あなたが友達を選ぶとき、個性を重視するだろうか?/個性は大事、だけどそれをプレゼンする能力も大事で、2つで1つだと思う
  • 小説と映画のちがい - 空中キャンプ

    小説映画の大きなちがいは、それが個人でできる作業かどうかであるとおもう。基的に、商業映画をひとりで作ることはできない。規模の大小はあれ、複数の人間が関わることでしか映画は完成しない。反対に、小説はひとりで書き上げるものであり、他者が介在することはすくない。あくまで小説は個人作業なのだ。小説映画という表現手段には、そのような差異がある。 複数の人間が関わることで、そこで予期しなかったできごとが確実に発生する。それが映画という表現の特徴である。カメラの前で役者たちがどんな演技をするかは、撮ってみないとわからない。とある風景を撮ったとき、そこにたまたま写り込んでしまうなにかを、事前に言い当てることができない。想像もしていなかったようなシーンがたまたま撮れてしまう可能性はおおいにある。複数の人間が共同でひとつの作品に参加するとき、そうした偶然によって映画が豊かになっていくし、そこが映画のおも

    yunyunsuke
    yunyunsuke 2009/02/27
    映画も小説も他社の介在による「偶然」で面白くなる/だからきっと何を創るにしても人を信頼しなきゃいいモノは創れない
  • 「自分で何とかしなければ」そんな人ほど落ちていく~『反貧困』 湯浅誠著(評:澁川祐子):日経ビジネスオンライン

    「ネットカフェ難民」という言葉が初めて使われたのは、2007年1月に放映された「NNNドキュメント」(日テレビ)だった。たまたま深夜にこの番組を観た私は、暗澹たる気持ちを抱えたまま、布団にもぐりこんだことを鮮明に覚えている。 番組では、10代、20代の男女が昼は日雇い派遣で働き、夜はネットカフェの椅子で眠りながら、100円200円を必死で切り詰めて生活している姿が映し出されていた。ある18歳の女の子の手帳には、「強くなる」「責任感を持つ」の言葉の後に「夜ご飯べない」という文字が書かれていた。 どうしてそういう生活に陥ってしまったのか。誰も頼る人はいなかったのか。這い上がるチャンスはどこにもないのか──「夜ご飯べない」という言葉が放つ切実さに衝撃を受け、疑問が次から次へとわいた。以降気がつけば、私は貧困やワーキングプアを取り上げたドキュメンタリーをチェックするようになっていた。 この手

    「自分で何とかしなければ」そんな人ほど落ちていく~『反貧困』 湯浅誠著(評:澁川祐子):日経ビジネスオンライン
    yunyunsuke
    yunyunsuke 2009/02/27
    自己責任論を叫ぶ人は自分の現状の足がかりとなった“溜め”を自覚していない/“溜め”を得るにはどんなときも希望を捨てないこと