ユニ・チャームの創業者、高原慶一朗氏が、10月3日、老衰のため87歳で死去した。 1961年にアンネ社が発売した“元祖”生理用ナプキンである「アンネナプキン」が女性たちから絶大な支持を得ると、「アンネに続け」とばかりに300社ものナプキンメーカーが誕生した。 そのなかで生き残り、国内シェア1位となったのが、高原氏が率いるユニ・チャームだった(以下、敬称略)。 「のちにはみとれ」 高原慶一朗は、1931(昭和6)年、手すき和紙で有名な愛媛県川之江市(現四国中央市)に生まれた。 祖父が若くして戦病死したため、父は尋常小学校卒業後、地元の紙問屋で丁稚奉公し、苦労しながら一代で国光製紙株式会社を築いた。 高原は小柄だった小学校時代、いじめの対象となった。泣きながら家に帰ることもあったが、母は慰めることはせず、こう言ったという。 ある日、高原は海岸でいじめっ子たちから代わる代わる投げ飛ばされ、口や鼻