後で読むに関するyuta3_21のブックマーク (5)

  • 『ゼロ年代の想像力』に向けたメモ - ピアノ・ファイア

    S-Fマガジン 2007年 07月号 [雑誌] 早川書房 2007-05-25 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools 今にわかに話題の、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読了。こういう波風を立てる人が出てくること自体はいいことですね。 紙幅の関係で書ききれなかった部分かもしれないので、現時点では余計なツッコミにもなりえますが、あえて少しツッコミを入れてみます。 エヴァンゲリオンを「引きこもりモノ」と呼んで「生き残りモノ(=決断主義)」の反対に置くのは不完全な対置で、あの「アスカ復活」を無視していることになると思います。 シンジも最初は、目の前で倒れるレイを見て「逃げちゃダメだ」を連呼し、エヴァに乗り、「男の戰い」を演じ、でも最後はエヴァに乗らなくなる。 ここだけ見ると確かに「引きこもりモノ」ですが、一方アスカは「死ぬのはイヤ」を連呼し(シンジとの対比ですね)、

  • 吉本隆明「心的現象論」、雑感: 極東ブログ

    明け方夢のなかで鶴見俊輔のような老人と長々戦後民主主義についての対話をしていた。対談者は三人いてもう一人は私より十歳くらい若い気鋭っぽい学者さんで、私の話に関心をもったり皮肉ったり、それでいて鶴見をあの時代のインフォーマントとして分析しているようなツッコミも入れていた。「結局、吉さんってどうなんでしょうね」みたいな話に流れ込んで三人は沈黙した。私が言いたかったのは、吉隆明の真価は、鶴見がある程度念頭においている吉のイメージとしての戦後から六十年代、そして七十年代に至る新左翼的な言論人よりも、七十年代の大衆的な資主義論から超資主義論、そしてセプテンバー・イレヴンまでの時事的な考察に現代的な意味があるのではないかという点だった。若い学者さんもそのスパンでの後期の吉思想を半分せせら笑うようでいながら、多少は考え込んでいるみたいだった。 と以上は夢で、おそらくもうしばらくすると夢の感触

  • ほぼ日刊イトイ新聞-矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。

    ナショナリティはこっち。 たぶん(アメリカのパスポートを) とれる期間は、充分、 過ぎてるんだと思うんだけど、 アメリカ人にはなりたくないから。 ただね、選挙権ないんだ。 税金は払ってるのに。

  • 「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。 - たまごまごごはん

    「マリみて」OVA発売カウントダウン!どこで何の特典がつくか調べてから予約しなきゃ(`・ω・´)真冬なのに真夏を見られるこの幸せ。ああ今の時代に生きていてよかったありがとうマリみて。 OVAといえば「手に入らない」と大騒ぎになってる「かしまし」13話。ある意味予定調和的なエンディングが冷静なファンには「やっぱりあのね商法はあかんて」と色々叩かれるところもあったようですが、以前も書いたように「かしまし」ジャンキーとしては最高のエンディングでありました。やす菜超いらないビッチとか友人と話していたのが恥ずかしくなるくらいの、やす菜のかわいらしさっぷり。ごめんやす菜。 そしてはずむ君がヒロインであり続けたこともGOOD。 はて、そんなかしまし厨である自分でもふと複雑な気持ちになることもあります。 「はずむ(中身は男性)はヒロインで少女のままでよかったのか?」ということ。 アニメ版だけでいうと、はず

    「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。 - たまごまごごはん
  • 無言の日記-五月の庭 〈内面〉論のメチャクチャな発生にみる、大塚英志の論理的欠陥

    たまたま吉隆明『マス・イメージ論』が手元にあるので、大塚英志が割と近年の彼の総括である『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』や『教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書』などで少女漫画の通史を作成する際に用いる〈内面〉モデルの成立について少し書いてみる。『マス・イメージ論』の最終章「語相論」が大塚の引用元にあたるのだが、実際に読んでみると、事実の羅列ばかりでそれに大きな意味づけがされていない文章であることがわかる。ただし、一読してはっきりと分かるのは、この場合、吉は大枠では画像と言語の関係について考えていて、その中で、〈画像と言語が平準〉であるつげ義春、大友克洋、岡田史子、そして〈言語が微分化されている〉山岸凉子、萩尾望都、そして高野文子というグループを作っている。大塚は、吉の権威と、この文章の着眼点と、そしてその主張の薄さをうまく利用して自分のオリジナルの論を組み立てている。

    無言の日記-五月の庭 〈内面〉論のメチャクチャな発生にみる、大塚英志の論理的欠陥
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