2009年1月26日のブックマーク (2件)

  • 「綺譚集」津原泰水 | 族長の初夏

    「心が折れる」小説とはこういうものだろうか。倫理と生理を総動員しての拒絶反応と幻想がもたらす快楽の板挟みによるサブミッション攻撃。津原泰水という人は、美しいものを醜く、あるいは醜いものを美しく表現する悪魔的な文才の持ち主なのだろうか。この異形のことばたちの前では、あの「妖都」もただの習作に思えるほどです。 しかもこの作品集、収録作15のほぼすべてがそれぞれ異なる文体で書かれているという凝りよう。短編一ずつに、ここまでするのか……。たまげ申した。 「天使解体」 幼女の死体を綺麗な写真が撮れるように「解体」しようとする男の壊れた精神を、純朴な語り口で描いた作品。圧倒的です。淡々とした描写と凄惨な光景のギャップが凶悪すぎる。ほんとうに嘔吐したくなりました。 「サイレン」 動物を殺すことで性的興奮をおぼえてしまう少年が、ふしだらな姉に祖父殺害を誘われる話。どろっとしたエロくささで窒息しそう。こ

  • 押井守の世界観 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    押井守の作品製作姿勢について語っていたサイトがあって、そこからインスパイアされたのでメモ。 押井の場合、世界とは意識が生み出す解釈像であり、意識とは自己と現象世界の間主観的関係によって生じるという認識がある。意識には自己と現象世界双方に対する接近不可能性がある。意識というシステムは意識というシステムを形成している自己や現象世界といった「外部」に対してアプローチできないのだ。ゆえに意識は意識自体を生きざるを得ないし、「あえてそれを」生きねばならない。その「接近不可能性」とは「事物の質性の経験不可能性」でもある。ゆえに、押井の描く物語は常に主観的かつ解釈学的になる。 その上で、押井は「意識があえてそれ自体を生きる物語」をメタ視点で見下ろし、物語であるというメッセージを繰り返し周到に配置する。それにより、我々の生きている世界もまた、押井の描く物語世界の住人がはまり込んでいるような主観的・解釈学

    押井守の世界観 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地