キッドよ、また俺に『男の星座』を与えてくれてありがとう。 文化系の見本みたいな近乱視メガネ野郎の俺だが (その二重苦の目玉にはついに「老」さえも 忍び込んできたぜ)、 だからこそ君たちの文章の熱さに心震わせることが出来るんだ。 事実? 『男の星座』のすべての行には、 そんな無価値な問いを受け入れる隙などひとつもあるまい。 なぜなら、人類の歴史においては文だけが真実、 記録 のみが世界だからだ。 キッドならむろん理解しているだろうが、 ここで俺は『男の星座』がフィクションだと言いたいのではない。 虚構と現実などという単純な二項対立は、 むしろ無文字文化の中でしか成立しないものであるかもしれず、 我々文字を持たざるを得ぬ者たちは自動的に文という真実、 文という虚構の上にしか立てないのである。 どの立場に依拠しようが土台には文があり、 それゆえに我々は文の力によって魂の真実を受け取り、 また逆に