ブックマーク / blog.gururimichi.com (2)

  • 不完全な文字コミュニケーションで、それでもコミュ障は“ことば”を紡ぐ - ぐるりみち。

    言いたいことを言えなかった日は、ショボーンクッションに癒してもらうのです。 言葉とは、得てして伝わらないもの。そもそも言語は、コミュニケーション手段として不完全。――そのような話がある。 特にインターネットにおいては、それが顕著。「テキスト」には、情報量が少なすぎる。実際に目の前で話す場合には得られるもの、声色、抑揚、視線、表情、身振り手振り、その他諸々の情報が、「文字」では得ることができない。 でも一方で、僕はもっともっと「文字」の可能性を信じたい。というか、文字がないと僕は、ただの人見知りおじさんとして生涯を終えるのみになってしまうような気がする。いや、気がするだけです。きっとなんとかなるよ、うん。なにいってんだこいつ。 コミュニケーションは「なんとなく」の上に成り立っている テレパシーが使えず、相手の感情をそのままコピーして体感することのできない人間さんは、他人を完全に理解することが

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  • 無職になって感じる「社会人」という言葉の曖昧さ - ぐるりみち。

    社会人基礎力(METI/経済産業省) 「社会人」という言葉がある。一口に言えば、 “社会に出て働いている人” のことだと思われる、この言葉。僕はもう今年で25歳になるけれど、いまだに「社会人」が指し示す人物像がどんなものなのか、よく分からない。 自分なりの定義を言えば、 “社会的に自立している人” くらいの印象を持ってはいるけれど、それが万人に当てはまるわけもなく。人それぞれが考える、「ぼく・わたしにとってのしゃかいじん」が多すぎて、何とも困る。 そんな、「社会人」という言葉について。 スポンサーリンク 一般的に叫ばれる「社会人」の意味 以前、このような記事を書きました。ここでは「社会人」の定義について、次のようにまとめています。 「学生でなく、労働などの社会における自身の役割を担っている人」 その上で、 “社会における自身の役割” として、会社に所属して行う労働に限らず、家事や子育て、介

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