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ブックマーク / kokounobonjin.hatenablog.com (3)

  • 子供の絵はSOSのサインです - 孤高の凡人

    2016 - 06 - 28 子供の絵はSOSのサインです 幼少期、私はおじいちゃんっ子であった。 私の母は仕事をしていたわけではなく、はじめての孫である私を溺愛したおじいちゃんに対して、ダチョウ倶楽部のように、どうぞどうぞと、私を差し出していたようである。 今、子供が産まれ、一緒にカタツムリを育てたり、公園に行って砂遊びをするというような『育メン』ブロガーとして名を馳せる私に言わせてもらうと、上記のような私の親の行動は『育児放棄』に他ならず、絶対にやったらあかん育児リストに載ってもおかしくない愚行なのである。 以来私は、母性と野菜が不足してお肌と心がガサガサになり、それはニベアソフトで解消できずに、ささくれ立ったまま思春期に突撃した私は、セックスピストルズ、クラッシュ、ラモーンズ、ダムド、パティスミスなどの初期パンクという、『やさしさ』でその寂しさを埋め合わせるしかなくなってしまったので

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    yuzuk45
    yuzuk45 2016/06/28
  • 素人のバンドのダサいMCをなんとかしてあげたい - 孤高の凡人

    私は嗜む程度に音楽をやっている。 やっていると言ってもバンドを組んで、うぉおとロックンロールをやっているわけではなく、部屋の隅っこでひっそりとポロンポロンと弾いてみたり、山の方へ出掛けて、川に足を浸しながら、タラタラタラタラと弾いてみたりする程度で、一生懸命ライブ活動を行われているバンドマンや、ジャズマン、ブルースマン、アンパンマンからすれば、やっていると声高らかに言うこと自体がとても恥ずかしいので、今山の方へ来て、穴を掘って、そこに向かって、「やっているよ」と呟いている最中である。 やっているという事は、当然同じように音楽をやっている友達、知り合いがいくらかいるわけで。そういう人々のライブに行く事がある。 行くたびに思うのだが、演奏はとても素晴らしい。日々、喉から血を吹いたり、爪がベキベキに割れたり、練習の際の騒音により隣の家から呪いの言葉と共に烏骨鶏の卵を投げつけられたりと、そういった

    素人のバンドのダサいMCをなんとかしてあげたい - 孤高の凡人
    yuzuk45
    yuzuk45 2016/06/08
    まあ、かわいいよな確かに。
  • たとえば僕が死んだら - 孤高の凡人

    2016 - 05 - 13 たとえば僕が死んだら 写真提供 https://www.facebook.com/takuya.tomiyoshi 道路に横たわりが死んでいた。 今日、私は蚊を殺した。 知らず知らずのうちに我々はトトロの曲に合わせて道を闊歩する度に、沢山の命を奪っているのかもしれない。 32型のテレビからは32歳のアナウンサーが悲しいニュースの記事を棒読みしている。 歩道に突っ込んだ自動車が沢山の人間の人生を一瞬でなかった事にした。 それら全ての出来事は我々の脳に届く前に角膜に当たって消えた。明日には忘れていることだろう。 明日は我が身かもしれないのに。 私は今年で31歳になる。 この歳になると、お通夜、葬式に参列する機会が増える。 最近のお通夜、葬式は乱立された葬儀場チェーン店で行われる場合が多い。 周りには『ここに葬儀場はいらない!』という汚れた旗がパタパタと揺れている

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