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ブックマーク / m.job-list.net (3)

  • 「一度でいいから親父と一緒に酒が飲みたかった」 〜硫黄島での食堂バイト体験記〜

    圧倒的な睡眠不足だが、どうしても眠れない。 耳をつんざくような戦闘機のエンジン音は体の内側を揺らされているようで眠りにつくことを許してくれないのだ。 圧倒的な睡眠不足だが、どうしても眠れない。耳をつんざくような戦闘機のエンジン音は体の内側を揺らされているようで眠りにつくことを許してくれないのだ。 薄汚れたカーテンを開け海風に腐されて錆びついた窓を開けると、硫黄の香りを含んだ生暖かい風が頬を撫でた。満天の星空を見上げると手が届きそうなほどの低空を旋回していくF15戦闘機のライトが規則正しく点滅しているのがみえた。機体が遠ざかるにつれ音は次第に小さくなっていくが、すぐさま後続の戦闘機が爆音をあげて飛び立ち高度を上げていく。夜間の飛行訓練が始まると途切れることなく離発着を繰り返し、深夜までジェット音は途切れることがない。 「明日もはええんだから、はやく窓閉めて寝ろ」 2人部屋の相棒である松さん

    「一度でいいから親父と一緒に酒が飲みたかった」 〜硫黄島での食堂バイト体験記〜
  • 居酒屋「あすなろ」とヤクザと私

    私の今も忘れられないアルバイトは、大学に入学したときのことだから、今から三十年以上も前のことになる。私は何か目的があったわけでも、何かを勉強したかったわけでもなく、ただ単純に東京に出てみたくて北海道から東京にある大学に進学した。 しかし、その大学は一年生のときだけ、埼玉県の大宮市にある校舎で学ばなければならなかった。私は仕送りをあまりしてもらえなかったので、その校舎の裏手にある部屋代が格安の学生寮に住むことにした。しかし、その校舎の周辺はほとんど家も店もなく、寮生たちのほとんどは自炊しなければならなかった。お金のない私は費を浮かすためにも事つきのアルバイト先を探したのだが、繁華街は大宮駅周辺しかなく、寮から大宮駅に行くにはバスで二十分ほどもかかる。当時は、まだコンビニがあること自体珍しく、ファミリーレストランも見かけることがほとんどない時代だった。だから、学生のアルバイトといえば、喫茶

    居酒屋「あすなろ」とヤクザと私
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
    yuzuk45
    yuzuk45 2020/07/31
    3人モスルに行った。生きて帰国したのはひとりだった。
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