ジュエリーが似合う著名人を表彰する「第31回ジュエリーベストドレッサー賞」の20代部門を受賞した女優の有村架純さん=2020年1月21日、東京都江東区の東京ビッグサイト 徳川家康の正妻、築山殿はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「徳川家の将来を案じた彼女は、息子の信康とともに生き延びる道を模索するため、夫を裏切って武田と内通した。大河ドラマで描かれるような悲劇のヒロインではない」という――。 【この記事の画像を見る】 ■家康と築山殿を不仲に描かない大河ドラマ 徳川家康と正室の築山殿が不仲だったというのは、研究者によって強弱こそあるが、ほぼ共通認識である。元亀元年(1570)、家康が岡崎城(愛知県岡崎市)から浜松城(静岡県浜松市)に拠点を移した際、岡崎にとどまって以来、築山殿は死ぬまで家康と別居生活を送った。そのことからも、不仲だったことは疑う余地がないといわれている。 ところ
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