その日は2月21日金曜日。 心配だらけで娘を送り出した場所を訪れる日がとうとう来ました。 そこは、日本の標準時子午線の通る天文台を通過し、 正面にトンビが悠々と舞うお城のある駅で降りて、 バスに暫く乗って大通りのバス停で降りてから7分ほど歩き、身障者の職号訓練校やリハビリ施設の集合地区の始まりを告げるゲートをくぐり、 受付から別館へ続く廊下の突き当りの一つ目のドアを通過し、 いかにも「小児病棟」と言った感じの2つ目のドアを入って、 エジプトのヒエログリフが一面に刻み込まれたエレベーターのドアが開くと そこに到着します。ロビーの向こうの病室に向かうと、 娘は、脚丸出しで靴下も履かずにそこにいました。 お腹の弱い娘が脚を出していると言う事は、すごく体調がいいサインと捉えられます。 一体なぜ5日間も連絡をしなかったのでしょうか? スポンサーリンク 一体何が起こったのだろうか…? 以前は、どんなに
![娘が眠りから覚めた魔法の場所 ~ 脳脊髄液減少症の睡眠障害治療 - Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d3163e5509ff7131f55bdbfad8c8e2fe67cae442/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fk%2Fkanon139%2F20200221%2F20200221214753.jpg)