ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (4)

  • 少子化問題なんてないのかも: 極東ブログ

    週末NHKでえんえんと少子化問題の番組をやっていたようで、金曜日のほうはなんとなくHDRに入れたものもまだ見てない。土曜日の近未来ドラマみたいなのはひょんなことから見ることになったので見た。「幸福2020」(参照)とかいうのだ。 ヒロインは秋月雪乃(永作博美)、離婚歴のある35歳のシングルマザーである。契約職員として介護ビジネスで働き、小学生の娘・綾(大橋彩香)の教育を生きがいにしている。 雪乃は、友人に誘われて渋々出かけた政府主催のお見合いパーティで高杉隆太(高橋克実)と出会う。隆太は40歳、独身、非常勤講師として小学校で理科を教えている。 というわけで、高橋克実のトリビアのコメントかよみたいな演技が楽しめたのと、木内みどりの老け役が似合いすぎとか思った。お茶の間ふうにはよく出来た作品のように思えた(意外なディテールがよく出来ている面もあった)が、全体の主張はひどいもので、国民を信じます

    yyukino
    yyukino 2005/06/29
  • [書評]「ビルとアンの愛の法則」(ウィリアム・ナーグラー&アン・アンドロフ): 極東ブログ

    小学校の国語の教科書だったと思う。ある日学校行くのをさぼってみたという「ジルダンとぼく」という少年の話があった。三十年以上も前になるのだろうが強く心に残っている。ブラジルの話だったかと思う。 主人公の「ぼく」とジルダンは学校をさぼってみたらどんなに楽しいだろうと思って実践した。しかし、一日中遊んで疲れて途方に暮れ、結局、下校の同級生たちをこっそり見に行く。そして、こう思うのだった。彼らは今日もしかしたらぼくたちが一生の間に学ぶことのできない大切なことを学んだのかもしれない、と。 そんなことはあるわけないじゃんというのが常識だろう。実際、山村幸広エキサイト社長が熱心に新入社員に「時間を守る、会社を休まない」と訓辞をたれても(参照)通じるものではない。でも、たぶん、社長の言っていることも正しいし、人生には「ジルダンとぼく」的なことはあるものだ。学校とは限らないにしろ、ほんのちょっとの知恵を学ば

  • 国家の適正サイズ: 極東ブログ

    英語のニュースの標題をざっと見てたら、おっ、またネタがあるよ、と思えた話があったが、エキサイト・ビックリとかに明日出てくるかもしれないし、「あのなぁ二日続けてネタ書くからマジレス・マジトラバもらうんじゃん」とご示唆もいただいたので、少しマジな話に戻す、といって、ダルフール問題をマジにやるにはになるほど重過ぎる。そこでつまんない話でソースなしだが、このところぼんやり考えていることを書く。 考えているのは、「国家の適正サイズ」ということだ。国家というものには適正なサイズというものがあるのではないか。各種の外交上の問題や国際問題はこの適正サイズの不都合から発生しているのではないか、とそんな感じが以前からしている。 サイズといっても単純に領土の広さということではない。むしろ、その国の総人口が一番目安になるだろう。いったい国家というのはどの程度の人口が運営に最適なのだろうか。そういう問いは成り立つ

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    yyukino 2005/06/11
  • フリーターについて: 極東ブログ

    先日極東ブログ「ニートについて」(参照)というのを書いて、さて、フリーターは?と気になった。この機に書いてみたい。 毎度ながら語義から。定義はすぐに見つかった。内閣府「平成15年版 国民生活白書」 ”第2章 デフレ下で厳しさを増す若年雇用 第3節 フリーターの意識と実態”(参照)にある。 なお、章では、フリーターを、15~34歳の若年(ただし、学生と主婦を除く)のうち、パート・アルバイト(派遣等を含む)及び働く意志のある無職の人と定義している(注13)(第2-3-1図)。その際、「学生」、「主婦」を除いて分析を行うのは、学業や育児などの傍ら、自ら選んでパート・アルバイト、派遣労働等に就く場合が多い「学生のアルバイト」や「主婦のパート」の議論と区別するためである。 厳密な定義ではなくて暫定的なものらしい。引用にある注13はこうだ。 (注13)働く意志はあっても正社員としての職を得ていない若

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    yyukino 2005/04/14
    極東ブログ的フリーター論
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