競馬ファンと動物愛護の話。 競馬ファンは、ウマという動物をそれぞれの名前で呼び、その容姿・性格・能力などの個性を愛で、感情移入し、それぞれの毎回の競走や生涯の物語を熱く語る。その一方で、同じウマという動物が調教試験や能力試験で合格できなかったり、競走成績が奮わなかったりしたときにはセリにかけられて食用に屠畜される、という運命もリアリストっぽく擁護する(何なら「それが彼らにとって一番の幸せだ」ぐらいなことまで言っちゃったりする)。「華やかなステージに登壇できたウマ」は賞揚して「できなかったウマ」については関知しない、その割り切りっぷりというか、情熱と冷静の温度差に、おれは戸惑ってしまったりする。 これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠