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社会と思想に関するzakki_51のブックマーク (4)

  • 宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    (前編より続く) 日は反知性主義の時代に突入した。路上では排外主義的デモや人種差別が繰り広げられ、インターネットではネット右翼たちが跋扈している。政治家はこれを利用し、自らの都合のいいように歴史の修正をもくろむ。そして、これらに対抗する言論はまだまだ主導権を握ることができていない。なぜなのか。 社会学者・宮台真司は言う──連中に理屈を説いてもムダ、と。この愚昧さが筒抜けの社会をひも解く鍵は〈感情の劣化〉にあるという。感情のるつぼと化した政治、ネット、ヘイトの深層を〈大衆〉という観点から分析する宮台。インタビュー後編をお届けする。 ……………………………………………… ──近著『これが沖縄の生きる道』で、内地と沖縄における〈我々〉意識の違いを論じていますね。そのなかで“感情”という概念を頻繁に用いつつ、ネット右翼たちへの言及もあります。とりわけ宮台さんが問題にする〈感情の劣化〉ついて詳しく

    宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 自律型ロボット倫理の応用問題 - shinichiroinaba's blog

    以前「自律型ロボットの倫理学の基格率」なるものを思いつき、その議論は『「資」論』と『オタクの遺伝子』で少し敷衍したのだが、その後グレッグ・イーガンだの飛浩隆だのを読んだうえで更に考えたことを少しメモしておく。 浦沢直樹『PLUTO』は、最初のうちこそいかにもメカメカしたロボットたちが登場してくるが、中盤以降はほとんどのロボットが、主人公のゲジヒトやアトム同様、非常に洗練された人間型ボディを持つものばかりとなる。終わってみればあからさまに人間離れした金属の巨人はモンブランだけで、原作たる手塚治虫の「地上最大のロボット」においてはモンブラン同様の巨人ロボットだったブランドーやヘラクレスも、日常生活用には大きさも形状も普通の人間と変わらないボディを用いる、という設定となっている。 これは一見「ロボットに萌えない」浦沢が編み出した苦し紛れの小技であるが、深読みするならばなかなか趣深い技法でもあ

    自律型ロボット倫理の応用問題 - shinichiroinaba's blog
  • 暴力をいかにして包摂するか - 過ぎ去ろうとしない過去

    暴力の問題を純法律的問題としてのみ捉える考え方が馬鹿げているのは、むしろその考え方こそが、直接的暴力の質的問題を過小評価することにつながるからに他ならない。直接的暴力の形態は様々である。警察が振るう暴力だって、当然ながら直接的暴力と呼べる。では、なぜ今回のtoledさんに振るわれた暴力が問題となるのか?純法律的な答えは、このようなものにならざるをえない――法律でそう決まっているから。かくして、いっさいがっさいの「存在」の形象は問題の中心から切り離され、議論はひどく限定された「当為」の次元で行われる。これは――今や20世紀(初頭)の遺物となった――きわめて素朴な法実証主義といわなければならない。「存在」は「当為」から解放されるが、そのことによって「当為」に縛られる。まさに、あらゆる形象と結びついたさまざまな暴力の区別が、合法的かどうかの区別に還元されてしまうのである。たとえば陵辱ゲームはな

    暴力をいかにして包摂するか - 過ぎ去ろうとしない過去
  • フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記

    フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかのから引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa

    フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記
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