自宅の庭に妻リュドミラさんと立つゲンナジー・オシポビッチ元中佐=11月、ロシア南部マイコプ(共同) 1983年9月1日未明、ロシア極東サハリン沖上空で大韓航空機が旧ソ連軍戦闘機に撃墜され乗客乗員269人全員が死亡した事件から30年。撃墜した戦闘機の元操縦士が共同通信の取材にこのほど応じ「軍人としての命令を果たしただけだ。ただ、別のやり方もあったのかもしれない」と事件の重荷を背負ってきた人生を振り返った。 元操縦士は、ロシア南部アドイゲヤ共和国の首都マイコプに住むゲンナジー・オシポビッチ元中佐(69)。76年からサハリンでスホイ15戦闘機の操縦士として服務。予定航路を逸脱したニューヨーク発ソウル行き大韓機ボーイング747がサハリン上空を飛行した際、極東各地から緊急発進した戦闘機10機のうち1機を操縦していた。 当時38歳。元中佐によると、防空軍の上官から交信で受ける命令に基づいて行動した。計
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く