コロンビアのバランキージャ市で現在も仕事を続けている道工氏。その眼差しは「サムライ」の文化を思わせる精悍さを湛えていた。 コロンビアのサッカー元代表に日系人がいたことはあまり知られていない。国内屈指の名門「サンタフェ」でキャプテンマークを巻いた男は、1951年にコロンビア代表に初招集され、左サイドバックとして背番号6を背負った。今年で90歳を迎えた道工薫(どく・かおる)は、日本戦を前に何を思うのか。コロンビアで話を聞いた。 元コロンビア代表選手だった90歳の日系人。 コロンビアの首都ボゴタを高速バスで北上しておよそ22時間、赤茶けた大地の先にスモッグで煙る高層ビル群が見えてくる。人口約186万人の工業都市バランキージャ市は国内第4の都市だ。道工はバランキージャ市の「日本・コロンビア友好協会」会長として繁華街のやや外れに事務所を構えている。目の前の通りには布地屋やボタン屋や雑貨屋が軒を連ね、