ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が7月9日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により、都内の病院で亡くなった。87歳だった。 ジャニーズ事務所によると、ジャニー氏は6月18日に病院に救急搬送された。一時は一般病棟に移ることができ、自身にとって子どものような存在だったタレントたちが次々と病室を訪れていたという。
![「世界に一つだけの花」「硝子の少年」…ジャニーさんが「子どもたち」と生み出した作品たち【人気曲一覧】](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4616572e0778859ae3fc2d955358a93b95986e95/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5d2562513b00004b00dabf3c.jpeg%3Fops%3D1200_630)
7月9日、ジャニー喜多川氏の死が公表された。日本の芸能史に巨大なインパクトを残したジャニー氏だが、ほとんどメディアの前に姿を現さなかったのは周知の事実だ。世に出たインタビューも数えるほどである。今回、貴重なインタビューのひとつ(雑誌『VIEWS』1995年8月号掲載)を全文公開する。1万5000字の前後編(肩書きは当時のもの、文中敬称略)。 〈取材・文:宇井洋〉 あるオーディションの風景 1988年10月26日、都内のあるテレビ局では、ジャニーズジュニアたちを選ぶオーディションが始まろうとしていた。試験会場となったリハーサル室では1時間ほど前から、小柄な中年男性が1人で会場の準備を黙々と進めていた。 しばらくすると、試験にはまだ時間があったが、オーディションを受ける少年たちがばらばらと入ってきた。緊張して大人しく座っている子、周りを威嚇するようにサングラスをかけた子、ガムを噛みながらだらし
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く