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aozoraに関するzmzizmのブックマーク (5)

  • 森鴎外 かのように

    朝小間使の雪が火鉢(ひばち)に火を入れに来た時、奥さんが不安らしい顔をして、「秀麿(ひでまろ)の部屋にはゆうべも又電気が附いていたね」と云った。 「おや。さようでございましたか。先(さ)っき瓦斯煖炉(ガスだんろ)に火を附けにまいりました時は、明りはお消しになって、お床の中で煙草(たばこ)を召し上がっていらっしゃいました。」 雪はこの返事をしながら、戸を開けて自分が這入(はい)った時、大きい葉巻の火が、暗い部屋の、しんとしている中で、ぼうっと明るくなっては、又微(かす)かになっていた事を思い出して、折々あることではあるが、今朝もはっと思って、「おや」と口に出そうであったのを呑(の)み込んだ、その瞬間の事を思い浮べていた。 「そうかい」と云って、奥さんは雪が火を活(い)けて、大きい枠(わく)火鉢の中の、真っ白い灰を綺麗(きれい)に、盛り上げたようにして置いて、起(た)って行くのを、やはり不安な

    zmzizm
    zmzizm 2016/08/21
    als op, institution, fact
  • 青空文庫 - 幸田露伴 五重塔

    其一 木理(もくめ)美(うるは)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳(がんでふ)作りの長火鉢に対ひて話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日(いつ)掃ひしか剃つたる痕の青と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠(みどり)のひ一トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と酷(むご)く丸(まろ)めて引裂紙をあしらひに一簪(いつぽんざし)でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒(まつくろ)にて艶ある髪の毛の一ト綜(ふさ)二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体(ふうてい)、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢(しれもの)が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは外見(みえ)を捨てゝ堅義を自慢にした身の装(つく)

  • 芥川龍之介 藪の中

    さようでございます。あの死骸(しがい)を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝(けさ)いつもの通り、裏山の杉を伐(き)りに参りました。すると山陰(やまかげ)の藪(やぶ)の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科(やましな)の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩(や)せ杉の交(まじ)った、人気(ひとけ)のない所でございます。 死骸は縹(はなだ)の水干(すいかん)に、都風(みやこふう)のさび烏帽子をかぶったまま、仰向(あおむ)けに倒れて居りました。何しろ一刀(ひとかたな)とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳(すほう)に滲(し)みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾(かわ)いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅(うまばえ)が一匹、わたしの足音も聞えない

  • 作家別作品リスト:坂口 安吾

    小説家。名は炳五(へいご)。新潟市西大畑町に生まれる。幼稚園の頃より不登校になり、餓鬼大将として悪戯のかぎりを尽くす。1926(大正15)年、求道への憧れが強まり、東洋大学印度哲学科に入学するも、過酷な修行の末、悟りを放棄する。1930(昭和5)年、友人らと同人雑誌「言葉」を創刊、翌年6月に発表した「風博士」を牧野信一に絶賛され、文壇の注目を浴びる。その後、「紫大納言」(1939年)などの佳作を発表する一方、世評的には不遇の時代が続いたが、1946(昭和21)年、戦後の質を鋭く把握洞察した「堕落論」、「白痴」の発表により、一躍人気作家として表舞台に躍り出る。戦後世相を反映した小説やエッセイ、探偵小説歴史研究など、多彩な執筆活動を展開する一方、国税局と争ったり、競輪の不正事件を告発したりと、実生活でも世間の注目を浴び続けた。1955(昭和30)年2月17日、脳溢血により急死。享年48歳

  • 坂口安吾 教祖の文学 ――小林秀雄論――

    去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かつたといふ話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなつたものだ。それは私が小林といふ人物を煮ても焼いてもへないやうな骨つぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりするやうなことがないだらうと思ひこんでゐたからで、それは又、私といふ人間が自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりしすぎるからのアコガレ的な盲信でもあつた。思へば然しかう盲信したのは私の甚しい軽率で、私自身の過去の事実に於いて、最もかく信ずべからざる根拠が与へられてゐたのである。 十六七年前のこと、越後の親戚に仏事があり、私はモーニングを着て東京の家をでた。上野駅で偶然小林秀雄と一緒になつたが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の堂車にのりこみ、私の

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