水素爆発こそ起こさなかったものの、東京電力福島第一原発事故で最も多くの放射能を撒き散らしたとされる2号機。原子力規制委員会による現地調査で、2号機のベント(排気)配管の途中にある仕切り板(ラプチャーディスク)はほぼ汚染されていないことが分かり、やはり一度もベントが成功しなかったことが確定的になった。 2011年3月14日夜、ベントによる原子炉の減圧ができず、消防車では注水もできず、メルトダウン(炉心溶融)が進んだ。 結果的には、翌日早朝、格納容器下部の圧力抑制室付近で爆発音がした後、炉の圧力が下がって注水が再開。格納容器が破裂し東電も現場放棄するしかない最悪の事態は回避された。 しかし、破断部から高濃度に汚染された生の蒸気が外部に大量流出する結果を招いた。(山川剛史)