昔の那覇は、那覇川(現国場川)、安里川の注ぐ湾に浮かぶ島”浮島”でした。1451年尚金福が長虹堤を築いて那覇と崇元寺の前を結ぶに至って首里との交通の便が開け、泊や那覇港の繁栄につれて若狭町、泉崎を含めるようになり、那覇四町(西、東、若狭町、泉崎)と呼ばれる町を形成するようになりました。「唐、南蛮寄り合う那覇泊」と歌われた那覇は、海外貿易の窓口として発展し、商都としてにぎわいをみせました。 19世紀に入ってからは西洋諸国の異国船が来航し、日本開国の前年の1853年にはペリー提督が那覇に上陸しました。1879年(明治12年)の廃藩置県により、那覇に県庁が置かれたことにより、首里に代わって沖縄県の政治・経済・文化の中心地となりました。同年、泊、久米、久茂地を編入し、近代那覇の行政区域の基盤ができ、1896年(明治29年)特別区制の施行により、那覇区となりました。1903年(明治36年)土地整理事