ブックマーク / www.refugee.or.jp (3)

  • 東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く|ニッポン複雑紀行

    東北地方の農村地域や沿岸部には、いわゆる「結婚難」や「嫁不足」を背景として、行政や事業者の仲介で日人男性と結婚した外国人女性たちが数多く住んでいる。1980年代ごろに始まった動きで、中国韓国、フィリピン出身の女性が大半を占める。 ときに日語がままならない状態で結婚を決断し、都市部ではなく外国人の少ない地域にたった一人で飛び込んだ女性たち。彼女たちはどんな理由で日で暮らすことを選び、その後どんな人生を送ってきたのだろう。 結婚生活はどうだったか。夫の両親や親族との関係はどうだっただろう。仕事のこと、子どものこと、お金のこと、地域のこと。東北各地に移住した女性たちはどんな経験をし、どんな時間を過ごしてきたのだろうか。 近年、結婚移住で新たに東北に来る女性の数は減少傾向にあり、日で今も暮らす女性たちは徐々に高齢化している。各地に散らばったその存在は見えづらく、社会的な関心も必ずしも大き

    東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く|ニッポン複雑紀行
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    zu2 2022/11/11
    “ああ、私はここで生きるために結婚をして来たけれど、家族を求めたけれど、家族にはなれないな、私はただこの家に雇われた従業員だと思って生きることにしたと、そう言っていました”
  • あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行

    「アメラジアン」という言葉を知っているだろうか?アジア各地に展開する米軍基地の軍人・軍属と現地の女性との間に生まれた子どもやその子孫がそう呼ばれることがある。アメリカとアジアでアメラジアン。日だけでなく、韓国やフィリピン、ベトナムなど米軍が展開する地域に数多く存在する。 かく言う私もアメラジアンの一人である。私の母は沖縄の祖母と米軍の祖父との間に生まれた。私は「クオーター」で、「アメラジアン」で、私が名乗り始めた「ローレンス」という名は、私が一度も会ったことのないアメリカ人の祖父の名である。 私は長い間、自分と似た出自を持つ他者と出会ったことがなかった。アメラジアンという言葉を使う使わないに関わらず、このような出自の子孫が日にも少なくないはずだが、そのことをあえて言わない人や自分自身が気づいていない人も多い。そんな中、私が25歳の夏、初めて出会った人が黒島トーマス友基さんだった。 トー

    あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行
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    zu2 2020/01/18
  • 少数者の隠れた声に寄り添う。“多数者のぬるま湯”に抗い続けた男が「移民の支援センター」をつくった理由|ニッポン複雑紀行

    神戸にあるもう一つの「KFC」 神戸市の長田区に「KFC」という名のNPOがある。KFCと言ってもあの有名なチェーン店ではない。1997年に設立された「神戸定住外国人支援センター(Kobe Foreigners friendship Center)」の略称である。 神戸市には在日コリアン、ベトナム難民、中国残留邦人帰国者など様々なルーツを持った人々が暮らしている。95年の阪神・淡路大震災後の支援活動を源流にもつKFCでは、神戸の定住外国人コミュニティのために高齢者支援、日語学習支援、子ども支援など様々な支援事業を展開してきた。 KFCが運営するデイサービスセンター「ハナの会」 人手不足の世相を反映して若年の外国人労働者に社会の注目が集まる中で、KFCでは在日コリアンやベトナム難民など「移民や海外にルーツを持つ高齢者たち」の支援を行っていると知り、強い関心を持った。さらに、KFCでは利用者

    少数者の隠れた声に寄り添う。“多数者のぬるま湯”に抗い続けた男が「移民の支援センター」をつくった理由|ニッポン複雑紀行
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    zu2 2018/08/31
    “日本人は当事者です、移民が困難を抱える社会を作っていることのね。外国人だけが当事者なわけではないですから”
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