世の中には、おぞましいものがいくらでもある。その中でも、自分が昔から何よりもおぞましいと感じてしまうのは、おぞましい現実に言及しつつ・言及することで自分の身をその現実から安全地帯へと引き離すことができる─引き離せばそれでよい、一件落着、と考える人の心に潜むものである──ということに、わりと最近思い至った。一つ二つのきっかけで思い当たったのでなく、いろいろな経験が積み重なって、その重みが、鈍い自分にもようやく感じ取れるようになってきた、ということだろう。 ちょっと回りくどいというか、極端かもしれない例を上げる。 イスラエルのガザ侵攻が深刻な様相を呈していた頃、とある軍事オタク系の──と言ったら失礼かもしれないから、「研究者」の、と言っておこう──ブログ記事に行き当たったことがある。イスラエルが使用した白燐弾についての記事だった。 記事の主旨はこんなようなことである。 ○白リン弾は本来