世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題というものがある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、なにやら憂鬱な気持ちになるのだった。(略)こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。 「空中キャンプ:自殺なんかしたらだめに決まっているじゃないか」 そういった問いはここでも何度かあつかってきたので、私も「いや」に含まれるのだなぁと思うとちょっと悲しい。私は「空中キャンプ」さんの文章のファンだし、こうやって反論めいたことを書くのは心苦しいような気もするのだけど(何だそれは)、でもそれはやっぱり、「だめなものはだめ」ですむだけの問題じゃないと思うのだ。もちろん、そう考えることは自由だけど、その問いを切実に発した人に対して