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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (2)

  • 羽入辰郎「学問とは何か −「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後−」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ミネルヴァ書房 2008年6月 「六〇年代末の大学紛争は、大学における学問のあり方をめぐって行われた」と羽入氏はいう。また、養老孟司氏はいう。「全共闘は大学解体を叫んでました。学問とはなんだ、研究はなんのためだ。紛争が収まってから、私のほうは、それに対する返事をまだ考えてたわけです。」「東大紛争が起こったとき、私は助手になって二年目でした。学位論文が済んで、次の論文を書いて、それが英国の雑誌に採用されたところでした。」 それが紛争による研究室封鎖で研究室を追い出された。研究活動を物理的に阻害されたわけである。全共闘の問いに応えて自分から研究をやめたのではなく、意志に反して無理矢理研究を止めさせられた。「でも私自身の研究は気でしたよ。だから研究室を追い出されたとき、気で腹を立てました。はたで見ていた人が「顔色が真っ青だったよ」と、あとでいってたくらいです。・・あの当時私が気だったからこ

    羽入辰郎「学問とは何か −「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後−」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    zyugem
    zyugem 2009/02/16
  • 梅田望夫「ウェブ時代をゆく」(番外)「電子立国日本の自叙伝」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    1876年、グラハム・ベルが電話を発明した。その当時の電話の最大の問題点は音声電流が電線を通っていくうちに減衰してしまうことで、それを解決したのが、1906年に発明された三極真空管であった。しかし真空管には限界があった。タマ切れを起こすという致命的な欠陥であった。ベル研究所の技術者たちは、1930年代に真空管に代わる個体素子の研究をはじめた。その研究者としてショックレーが選ばれた。1939年末にショックレーは半導体を使った増幅器というアイデアを得た。レーザー研究に注力した第二次世界大戦がおわったあとふたたび半導体の研究がはじまり、1947年末に最初のトランジスターができた。これは電気技術者にとっては衝撃的なことであったが、一般マスコミはその重大性に気づかなかった。なぜなら最初のトランジスタは真空管の50倍もの値段であったからである。 というようなことは多くのかたにとっては常識なのであろうが

    梅田望夫「ウェブ時代をゆく」(番外)「電子立国日本の自叙伝」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    zyugem
    zyugem 2007/11/19
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