ルッキズムは、日本語では「外見至上主義」と訳されるます。 大まかにいえば、外見に基づいて行われる様々な差別のことであり、基本的に批判的な文脈で使われる言葉です。 さて、この言葉が先日TLで話題になっていました。 世の中のルッキズムから解放されたくてVtuberになったところがある僕としては、「顔がいいVtuber」なる概念は「アバター世界でもルッキズムからは逃げられないのか……」という絶望感が生じますね。 — 鈴宮ナギ(すずみやなぎ)@Vtuber引退 (@suzumiya_na_gi) January 17, 2022 VTuberという、外見を自由に選べるはずの存在についてのこのツイートが、私の周りで少なからず共感を集めていました。こうした違和感を感じていた人は、少なからずいたのだと思います。 しかしなぜ私たちはこうした現実に違和感を感じるのでしょう? 一つの要因として、私たちの中に道
![「アバターもVTuberもルッキズムから逃れられない」を考える|思惟かね(オモイカネ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/82b93830a0672cd1099ff280b84e103bc5397b8a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F70386913%2Frectangle_large_type_2_c110a62088ff013c1d6b8c46e6bc210d.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)