田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。 結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。 病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。
台湾で和食のお店を立ち上げるサポートの仕事をしてた時の話。 お店にはたくさんの若い台湾人アルバイトスタッフがいた。 台湾の若者たちは日本人とぱっと見そんなに変わらないけど、やはりくらべると少し野暮ったいというか地味な印象はあった。 その中に1人、目立って垢抜けた1人のおしゃれボーイがいた。 服や髪型だけでなくカバンや自転車にもお金と気を遣い、趣味はクラブで夜遊び、みたいなタイプである。 その少年は、いつも昼食にコンビニの菓子パンを買って食べていた。 お店は首都台北の街なかにあって、その辺りにはコンビニも日本とそう変わらないくらいたくさんあった。 しかし我々日本人チームは、そこで食べ物を買うことはまずなかった。 なにせ台湾はストリートフード天国である。 点心類や麺、揚げ物や腸詰め、などなど安くて美味しい物がそこら中にいくらでもあるのだ。 我々は毎日嬉々としてそれらを食べまくっていた。 ある時
前回「次はサイゼリヤのメニューの構造について書く」と言ったがあれは嘘だ。 いや、いちおう最初はそのつもりだったのだが、書き始めてすぐにこれはどう考えても建設的な内容にはならないという事に気付いたのである。 なぜなら、前回私はサイゼリヤというレストランを最大限に楽しむ方法を私なりに提案した。 という事は、これ以上今のメニューについて何を書いたとしても、それは前回紹介した以上の物にはなりようがないのだ。 つまりあれがサイゼリヤの限界という結論になってしまいかねないという事である。 それではいけない、と私は考えた。 その限界を突破してさらなる高みを目指すには何をなすべきか。 答えは自ずと出た。 烏滸がましくも今回私が行うのは サイゼリヤ新メニューの提案 である。 ただし。 既存の飲食店に対して「俺の好きなこれを置け」というだけなら簡単だし、またそれは腹が立つほど無責任なだけの物にもなりかねない。
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