あなたが見ているその世界は、他人にはどう見えていると思いますか。「なにをばかなことを! 同じ世界にいるのだから、同じように見えているに決まっている」。多くの人は、きっとそう答えるでしょう。しかしなぜ、そういえるのでしょうか。私は私に見えているものしか見えません。であるならば、私が私である限り、他人の世界を知ることはできないようにも思えます。はたして私たちは、それぞれに現れている世界を共有することができるのでしょうか。哲学者の野矢茂樹先生にお聞きしました。 ――「眺望論」の同じ場所に立てば同じものが見える、同じ眺望が得られるというのはとてもわかりやすいですね。それで思い出したのは、姫路駅のホームに「ここから姫路城が見えます」という看板があって――いまもあるのか分かりませんが――、そこからだとちょうど建物の隙間にお城が見えるんです。それは私が見るとか、あなたが見るというのとは関係なく、世界のあ
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