twitterにて嫌儲が少し話題になってたので、嫌儲の正当性のあるケースを考えてみる。 昔から自分の中で「Web性善説」と勝手に呼んでる構造がある。 WikiPedia辺りがわかりやすいと思うのだけど、「どんな種類の人間だろうと数を集めれば、場所を与えるだけでそれぞれの余暇を用いて、様々な専門的知識・知恵の集積が発露される。」と言われれば、ネットに多少詳しい人間ならピンと来ると思う。例を挙げると、先程のWikiPediaを含め、2chだとこんなことがタダで分かったり、ニコニコ動画だとこんなのがタダで見れたりする。(ニコニコ動画の作品はプロが余暇で作ったものらしい) で、ポイントはこの構造に金の流れが無いこと、もっと言えば金の流れが無いからこそ成り立っているという点。 WikiPediaに関して「金の流れ」を作って運営しようとすれば、余程うまくやらない限りコンテンツはおそらく全てダメになる。