タグ

ブックマーク / bingo-history.net (8)

  • 三の丸物見櫓跡案内板除幕式開催

    2022-04-28T12:15:08+09:002022年4月28日 三の丸物見櫓跡案内板除幕式開催2022-09-16T10:26:50+09:00管理人 事務局だより 備陽史探訪の会の事業として進めていた三の丸物見櫓跡案内板の設置が完了しましたので、4月27日午後2時より地権者のNX備通様をお招きして除幕式を開催しました。コロナ禍でスペースもないためささやかな式になっていますが、新聞記者の取材もありました。 作成の様子は以下をご参照ください。 三の丸物見櫓跡案内板作成への道のり1 三の丸物見櫓跡案内板作成への道のり2 復元図完成までの道のり https://bingo-history.net/archives/25864https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2022/04/30233-1024x768.jpghttps://bing

    三の丸物見櫓跡案内板除幕式開催
  • 【ぶら探訪】井笠鉄道神辺線跡を歩く

    2015-03-07T00:00:34+09:002015年3月7日 【ぶら探訪】井笠鉄道神辺線跡を歩く2019-01-27T22:04:16+09:00管理人 デジタルライブラリー 2015年3月7日発行 井笠鉄道神辺線の概略 明治時代末ごろから、全国各地に軽便鉄道とよばれる簡易的な鉄道が数多く作られるようになりました。福山では、鞆軽便鉄道(福山↔鞆町)、両備軽便鉄道(福山↔府中)、そして、1922年(大正11年)に両備軽便鉄道の支線として、神辺と高屋(井原市)までを結ぶ「両備軽便鉄道高屋線」が建設されました。… <目次> 井笠鉄道神辺線の概略神辺線関連年表井笠鉄道神辺線 路線図①井笠鉄道神辺線 路線図②美の鶴酒造 https://bingo-history.net/archives/18200https://bingo-history.net/wp-content/uploads/20

    【ぶら探訪】井笠鉄道神辺線跡を歩く
  • 福山の「とんど」について

    1985-01-20T08:46:12+09:001985年1月20日 福山の「とんど」について2019-07-10T22:26:30+09:00管理人 近世近代史 「備陽史探訪:23号」より 加藤 惣一 福山市のとんど祭りの歴史を探る福山の「とんど」は、もともと近郊の正月行事として広く行なわれていた「とんど」は(「さぎちょう」の異名)が、元和3年(1613)元和5年(1619)水野勝成の福山築城に伴って整備されたのに始まるとされている。以来明治4年(1871)の廃藩置縣までの藩政時代250年間、正月ごとに福山30町鞆6町の「とんど」36がきらびやかに繰り出され、囃音頭とともに町内を巡行して、最後に、それが華やかにはやし焼かれたのを想像すると、たしかに城下町福山の正月の偉観であったにちがいない。 その間、元禄11年(1698)水野家退散、元禄13年(1700)松平家入城、宝永7年(171

    福山の「とんど」について
    kanototori
    kanototori 2019/02/11
    “吉津の「とんど」鶴亀(つるかめ)を筆頭にして、上魚屋町の懸鯛(かけだい)、下魚屋町の伊勢海老(いせえび)、笠岡町の諫鼓鶏(かんこどり)の飾物が、とくに逸であると”
  • 郷愁の鐵路「消えた尾道鉄道」

    2012-04-01T13:25:31+09:002012年4月1日 郷愁の鐵路「消えた尾道鉄道」2020-07-12T16:19:45+09:00管理人 近世近代史 備後南部にもかつて軽便鉄道があった。福山には、ラッキョウ機関車として親しまれていた「鞆軽便鉄道」が走っていたし、隣の岡山県笠岡市には笠岡~井原を結ぶ「井笠鉄道」が営業していた。神辺~高屋間には、大正11年両備軽便鉄道高屋支線として開通していて「神高鉄道」の名前で運転されていた。 この神高鉄道は昭和五年に両備鉄道より井笠鉄道に譲渡され「井笠鉄道神辺線」として引き継がれている。小生は鉄道が好きなのでこれらの鉄道に乗りたかったが、機会がないまま廃止されてしまったのが残念でならない。 さて尾道には「尾道鉄道」が走っていたが昭和39年7月31日限りで廃止された。 この鉄道は旧型電車を走らせていたが、これに乗って1年半ほど通勤していた。

    郷愁の鐵路「消えた尾道鉄道」
  • 地神塔のいろいろ(地神さん)

    1997-06-14T22:44:57+09:001997年6月14日 地神塔のいろいろ(地神さん)2019-06-13T13:14:52+09:00管理人 近世近代史 「備陽史探訪:77号」より 出内 博都 【路傍の文化財】地神塔 地神(ジジン)さんという呼び名で親しまれている地神塔にも色々な形、神名があって、その土地・時代の民俗と関連して考えさせられるものがある。民俗学辞典には、大要次のように記されている。 春分・秋分に最も近いツチノエ(戊)の「社日」といい、この日に地神を祀る講を「地神講」とか「社日講」と呼ぶ。社日には土を動かしてはいけないという禁忌があり、この日は畠仕事をしないで、講中が当屋に集まって、神事やお供えをして地神を祭る。全国的にはごく稀に「刻像塔」もあるが、大部分は自然石や角柱に「地神」と刻字した文字塔が多い。刻字のない文字通り自然石のものもある。地神は稲の穂を持って来

    地神塔のいろいろ(地神さん)
  • 7月29日【歴史講演会】安芸の山城

    行事に関するご質問などは「お問い合わせフォーム」より、お問い合わせください。 【県立ふくやま草戸千軒ミュージアム】 https://bingo-history.net/archives/17917https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/01/IMG_1101-1024x683.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/01/IMG_1101-150x100.jpg2017-06-03T22:44:42+09:00管理人行事案内バックナンバー~毛利元就から見た戦国期城郭の姿~ 数多く残る安芸の多様な戦国期城郭の中で、毛利元就との関わりの深いものを最新の調査を踏まえて紹介します。 講師 秋哲治氏(安芸高田市教育委員会) 開催日 7月29日(土) 時間 午後2時~3時半

    7月29日【歴史講演会】安芸の山城
  • 物品販売 | 備陽史探訪の会

    2012-09-28T21:09:33+09:002012年9月28日 物品販売2017-05-09T19:01:07+09:00管理人 備陽史探訪の会はこれまでに様々な物品を発行してきました。 このうち、在庫の残っているものについてはお分けすることができますので、下記よりご購入ください。 ご利用の前にご確認ください→特定商取引法に基づく表示 なお、送料は書籍が全国一律240円、会報・小冊子は120円となっておりますが、特殊な形状のものや書籍類以外のものなど、送料が異なる場合は、その旨、各ページに記載しています。 書籍

    物品販売 | 備陽史探訪の会
  • 中津藩の代官支配について―神石郡小畠代官所の場合―

    1992-07-18T22:54:36+09:001992年7月18日 中津藩の代官支配について―神石郡小畠代官所の場合―2019-10-03T23:19:23+09:00管理人 近世近代史 一、奥平中津藩備後領の成立 第1表 奥平中津藩の領域と石高 慶長五(一六〇〇)年、関ケ原の戦で西軍の総師となった毛利輝元が辛うじて防・周二国の大名として命脈を保ったあとへ、福島正則が芸備四九万八千石の領主として広島へ入城したが、元和五(一六一九)年六月、武家諸法度違反の名目で改易になった。 福島改易後、浅野長晟(ながあきら)が芸備八郡四二万六五〇〇石の領主として入封し、備後には譜代大名の水野勝成が十万石で大和郡山城より神辺城(のち福山城)へ入封した。然し水野家はわずか五代で元禄一一(一六九八)年五月勝岑病死のため継嗣断絶し一〇万石は収公された。その後一年余の間、曲渕(まがりぶち)市郎右衛門・山木惣左衛

    中津藩の代官支配について―神石郡小畠代官所の場合―
  • 1