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ブックマーク / www.shohyo.co.jp (1)

  • 書評

    書の第3部は、ほとんどの読者にとって、読むに耐えないものであるだろう。読者は三重苦を課せられている。情報工学に関するかなりの知識が要求される内容でありながら、致命的なことに、その部分に関する翻訳が劣悪なのだ。そして、根的には、もし情報工学に関する部分を補修したとしても、そもそもキットラーがここで何をいいたいのかを理解するのは難しい。    キットラーは一部ではメディア論におけるミシェル・フーコー的アプローチと肯定的に評価されているみたいなのだが、それはフーコーに対する侮辱にも等しい。20世紀初頭における情報工学的知のエピステーメを概観するキットラーの見立ての悪さは、読者を余計な混乱に導くだけだと思われる。  たとえば「プロテクト・モード」では、権力システムの分析というフーコー的な課題を、マイクロチップのアーキテクチャに対して試みることが提唱されている。『監獄の誕生』における一望監視シ

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