准尉は、軍人らしからぬ人でした。 理想の上司、誠実な夫。 しかし、今から78年前の8月18日、終戦3日後のこと。 妻と生後間もないわが子とともに、命を絶ちました。 「我れにその力すでになし」 遺書には、悲劇の理由が記されていました。 (長野局記者 長山尚史) 目次 ある一家の死 “理想の上司” 遊佐准尉は殴らない
記事保存 日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。 12月8日は日米開戦の日だ。76年前の1941年(昭和16年)、日本軍はハワイ・真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃した。4年後に日本の無条件降伏で終わったこの戦争は、日米の国力の差などから「初めから勝つ見込みのない戦争だった」との結論が出ている。「戦争調査会 幻の政府文書を読み解く」(講談社現代新書)を出版した井上寿一・学習院大学長は「日米戦争は十分回避できた」と説く。無謀な戦争を止められなかったのは、日本のリーダーたちが自分の出身母体の組織利益に、犠牲を強いる決断ができなかったためだとしている。 戦争調査会、「敗戦」への政策当時者をインタビュー 井上寿一・学習院大学長は「無謀な日米戦争は十分回避できた」と説く(同大学長室で) ーー「戦争調査会」は敗戦直後の幣原喜重郎内閣で、戦争の原因
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く