もともとは、1891年のアメリカで、南部、西部の農民層を中心に結党した人民党(People's Party)の政治運動をさして呼ばれた。19世紀末、アメリカの大工業国化の進展に伴っての、独占資本の登場と貧富の差の急拡大という社会状況を背景とする。そののちに、大企業や中央政府の権力的・示威的なふるまいに対する、一般市民・民衆の反感・不信・反抗心・対抗心を示す政治的反応・行動を、広くとらえて呼ばれるようになった。 ちなみに、人民党は、のちに民主党に勢力的に取り込まれることになる。19世紀末までは、南部農民層は、強固な民主党支持基盤だった。 大衆迎合主義 mass opportunism の意味で用いられることがあるが、populismで辞書を引いても、この意味は出てこない。