突然、前原さんは私たちの前からいなくなった。あまりにも突然で、それが本当のことなのか実感することは今でもむずかしい。だが、人の死とは往々にしてそのように訪れる。その人がいくら親しかろうと、無縁であろうと関係なく。 前原さんと知り合ったのは『海洋アジア』というガイドブックにたまたま協力してもらったのが最初だったと記憶している。1997年だから26年前のことだ。それ以来、旅行人のガイドブックの多くに彼は携わってくれた。前原さんが妻である愛美さんと知り合ったのも、二人が旅行人ノートの制作スタッフとして参加したのが縁だった。そういった旅行人ノートの制作で最も思い出深いのは『アジア横断』、『シルクロード』だ。 『アジア横断』を制作したとき、編集の中心で仕切っていたのは前原さんだった。締め切りを前にして連日事務所で長い時間を共に仕事した。その話を僕は『あの日、僕は旅に出た』(幻冬舎)に次のように書いた