小学生のころ、山形からきたという近所の家の子らと遊ぶことがあり、実家から「バッタの佃煮」とか「乾燥芋」とか 送ってくるので うちも もらったことがあり 空き地の土管の中で食べた。ある日、1年生になったころ ヒヨコをもらった エサと水を与えた はこべ という草 兄たちが レース鳩 数百羽 飼っていて その真下には 鳩の餌のトウモロコシの粒が こぼれ落ちていた そこに にわとり小屋 作り 育てた たまご 産む時「毎朝」コケコッコーと鳴いた。 小学生の2年生で「納豆売り」のアルバイトした 藁に包まれた納豆をかごにいれて 町内を「ナットー ナットー」と言いながら一回りすると 朝の1時間で全部売れた一つ5円だった。 家に帰ると「にわ子」(にわとりの名前)のたまごと納豆でご飯食べてから学校へいった。いまあるのは「その おかげ」だと思う 5/9・鈴木亮平さん主演「TOKYO救命室」MERを東宝シネマに見