ウクライナがロシアに対する反転攻勢を続け、限定的な戦果を出しつつも決定的な突破口を見つけあぐねている中、ウクライナでは体の一部を失う人の数が急増している。 ウクライナ保健省によると、2023年前半だけで1万5000人が腕や脚を失った。そのうち何人が兵士なのか、同省は明らかにしない。ウクライナ政府は戦場での死傷者数を極力、公表しないようにしているからだが、1万5000人のほとんどは軍関係者と思われる。
日本ハムは19日、前夜に横浜市内の病院で精密検査を受けた上沢直之投手(25)がこの日、都内の病院で左膝蓋骨骨折と診断されたと発表した。今後の見通しについては現時点では未定だが、長期離脱は避けられなさそうだ。チームは、交流戦明けの先発ローテーションの再編を余儀なくされる。 上沢は先発した18日DeNA戦(横浜)の6回に、打球が左膝の皿を直撃した影響で降板。試合途中に救急搬送されていた。 今季は初の開幕投手を務め、先発陣の柱となっていた。11試合に先発し、5勝3敗、防御率3・15をマーク。ここまでの投球回は71回1/3イニングでリーグ6位、チームでは有原の78回に次ぐ数字を誇る。3年ぶりのリーグ制覇を狙う中で、完投能力があるエースが離脱する穴は、とても大きい。
1通の礼状が、肩とひじ検査へと動き始めた。93年の春ごろ、当時の日本高野連の事務局長だった田名部和裕(現理事)は、知人に紹介した医師にお礼の手紙を書いた。送り相手は、大阪大医学部整形外科の教授だった越智隆弘(現大阪警察病院院長)。田名部は診療の感謝とともに、自らの悩みも記した。 「天理の本橋君と沖縄水産の大野君の姿を見て、これでいいのかなと悩んでいるところです」 天理の本橋雅央は、86年夏の甲子園の優勝投手だった。右肘痛を抱えながら、決勝の松山商戦も完投勝利。早大に進学するも、右肘痛に苦しみ、目標だったプロへの道は閉ざされた。沖縄水産の大野倫は91年夏の甲子園で準優勝を達成。1人で773球を投げ抜いたが、夏の大会後に右肘の疲労骨折が判明し、投手生命を絶たれた。 礼状の送付後、田名部のもとに越智から電話が入った。「大事なことですから、会いましょう」と言われ、大阪市内のホテルの喫茶店で会った。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く