これが戦後の土呂部(どろぶ)か。先日、昔の土呂部地区に関するDVD映像「山の分校の記録」をお借りする機会がありました。 さっそく見てみよう 内容は土呂部に小学校があり、31人の生徒がいた頃の様子です。時代は昭和35年(戦後15年)の頃ですね。 印象に残った内容を少しだけ紹介します。 教育「子供は体さえ大丈夫ならOK」 夢中になって、自然と遊ぶ子供たち。素敵な時代ですね。 学校から帰っても親はいない 仕事だからですね。お昼を子供たちだけで食べています。 母は基本畑仕事。それ以外にも、ダム工事や道路の日雇いの仕事。さらに家事全般。休む暇がありません。 父は山仕事。 木を切るのは炭にして現金収入を得るためですね。現代版の炭焼きは『「炭焼き」をしたことありますか?』で紹介しました。とにかく、休む暇がありません。 子供が手伝えることといえば、子もりか水くみくらいだったそうです。あとは毎日、日が暮れる
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