武道館公演を終えて離日するビートルズ。ポールの心残りは・・・。 写真:共同通信社 ポール・マッカートニーが「四谷の外国人が喜ぶおフロ」に行きそこねていた。昭和41年(19666)の来日時、ヒルトンホテルに缶詰め状態にされていたポールとビートルズの側近の一人マル・エバンズはそのおフロに向かうつもりだった。だが、ホテルを出た車はすぐにマスコミに嗅ぎつけられることになり、「泣く泣く」行き先を皇居前広場に変更、二重橋周辺を5分間だけという約束で見物することになった。 来日二日目の6月30日、初日の武道館でのコンサートを無事に終えてほっとしているビートルズのスタッフたちを引き連れて夜の街に繰り出した男がいた。ビートルズの招請元である協同企画の社員、中村実氏であった。 「ヤア!ヤア!ヤア! ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯」(野地秩嘉・著/幻冬舎・刊) 「日本のバーやキャバレーを案