【佐藤壮(仙台大学スポーツ情報マスメディア学科)】宮城県柴田町にある仙台大学在籍中に単身渡米し、野球の最高峰の舞台・メジャーリーグを目指した色川冬馬氏。プレイヤーを引退後は指導者としてイランやパキスタンなど様々な国での代表監督を務めた。野球を通して16ヶ国を渡り歩いた色川氏は現在、日本の選手を海外に送りだす活動をしている。異色の経歴を持った色川氏は今、何を思うのか。 野球部を辞め、メジャーリーグへ挑戦 色川冬馬氏の野球人生は、普通の人が経験できないようなことばかりだ。小学校1年生のころ兄の影響で野球を始め、高校は宮城県の聖和学園に進学。当時の色川氏は「他のチームと同じことをやって甲子園に行っても面白くない」という考えで野球に取り組んでいた。高校野球では今になってやっと坊主以外の髪型が許される風潮になっているが、色川氏らはその時から「坊主強制」に疑問を持ち、実際に坊主ではない髪型で世間の声と