2020年8月17日のブックマーク (2件)

  • 「自分なら同じことができるだろうか」戦時中に小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に毎日畑の野菜を届けていた曽祖母のお話

    berber @Saharansivatea 戦時中、曽祖母は小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に、毎日畑の野菜を届けていた。 嫁(祖母)は、家族分の料が減ると抗議したが、曽祖母は渡し続けた。昭和20年曽祖母の葬式の日、警察に連れられ捕虜の方々が家の前に並んだ。ターバンを巻いた彼らは、泣いていた。母が繰り返し語る昔話。 2020-08-15 18:10:18 berber @Saharansivatea 私の母は当時幼く、幻想と理想が混じった話として私は受け止めていた。 曽祖母は初孫であった私の母をたいそう可愛がっていたそうで、母の曽祖母への想いが話を作り上げ、困っている人には親切にするべきだという教えを込めた話になったと。 なぜなら、当時の小樽史に捕虜の記録はなかったからだ。 2020-08-15 18:54:38

    「自分なら同じことができるだろうか」戦時中に小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に毎日畑の野菜を届けていた曽祖母のお話
    AL-KN13
    AL-KN13 2020/08/17
  • 第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース

    小野田少尉は1974年3月9日、やっと自らの剣を引き渡した。29年間、フィリピンのジャングルで持ちこたえた。日に帰国後のインタビューや手記では、日が降伏したことを受け入れられなかったと述べた。 部外者には小野田は狂信者に見えた。しかし帝国時代の日では、彼の行動は完全に理にかなっていた。小野田は決して投降せず、天皇のために死ぬと誓っていた。女性を含めた他の国民も全員、同じ事をするはずだと彼は信じていた。 だがもちろん、そんなことはなかった。1945年8月15日、日の最高神である裕仁天皇は、天皇として前例がなかったことをした。ラジオに現れたのだ。原子爆弾が広島と長崎を破壊していた。2つ目の原爆が投下された日、ヨシフ・スターリンが日に宣戦布告した。ソビエト連邦軍はすでに、満州を席巻していた。数週間以内に、ソ連軍は北海道に上陸するとみられた。裕仁はアメリカへの降伏が最善の選択だと受け入れ

    第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース
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    AL-KN13 2020/08/17