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「自分なら同じことができるだろうか」戦時中に小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に毎日畑の野菜を届けていた曽祖母のお話
berber @Saharansivatea 戦時中、曽祖母は小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に、毎日畑の野菜を... berber @Saharansivatea 戦時中、曽祖母は小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に、毎日畑の野菜を届けていた。 嫁(祖母)は、家族分の食料が減ると抗議したが、曽祖母は渡し続けた。昭和20年曽祖母の葬式の日、警察に連れられ捕虜の方々が家の前に並んだ。ターバンを巻いた彼らは、泣いていた。母が繰り返し語る昔話。 2020-08-15 18:10:18 berber @Saharansivatea 私の母は当時幼く、幻想と理想が混じった話として私は受け止めていた。 曽祖母は初孫であった私の母をたいそう可愛がっていたそうで、母の曽祖母への想いが話を作り上げ、困っている人には親切にするべきだという教えを込めた話になったと。 なぜなら、当時の小樽史に捕虜の記録はなかったからだ。 2020-08-15 18:54:38
2020/08/17 リンク