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思想に関するAOI-CATのブックマーク (2)

  • 日本人の多くには、神のような絶対的存在がいないため、いろいろ機能的な不都合が起きます - Android開発-fs随筆-

    通常、人生の不幸や幸福は、運命です。避けようがありません。 僕の内面世界には、神のような絶対的存在が認識されているので、そういった、避けられない不幸や、降ってきた幸福を自己消化することができます。神がいるのだから、運が良かった悪かったという概念が、内面世界に根付くのです。 けれど、多くの日人は、不幸に見舞われればこう嘆きます…… 「なぜだ!?」。 それが単なる偶然出会っても、何かしら理由がないと日人は不幸を受け入れられません。「私のどこが悪かったのだろう?」などと、考えてしまうのです。そして自分は大して悪くもないのに、「自分のここが悪かったからこんな不幸な目に逢ってしまったんだ」と考えてしまいます。 でも普通の不幸なんて、適切な支援者が適切なタイミングでいれば、すべて避けられたはずです。たまたまその支援者がよそ見していたり、疲れていたりして、不幸に見舞われること。それはただの運が悪かっ

    AOI-CAT
    AOI-CAT 2008/03/09
    日本人なら「仕方ない」だろうとも思う。
  • 家康の呪術 - finalventの日記

    というのに一時期関心を持った。すっかり忘れてしまったが、ぼんやりアウトラインは覚えている。 基的に家康は呪法を必要としていた。おそらく秀吉の霊力の封じ込めであったと思う。 意外に家康はアルケミストだったっぽい。神仙薬の関心を持ち続けたというか、彼の後家ごのみもそれの関連かもしれない。また死因も案外自家薬中毒だったかも。 なぜ厭離穢土・欣求浄土なのかがよくわからない。 普通は⇒岡崎市/徳川家康公について 1560年5月19日、織田信長と今川義元による桶狭間(おけはざま)の合戦は、信長が急襲によって義元の首を討ち取られます。 今川方の部将として出陣した家康公(当時19歳で、名は「松平蔵人(くらんど)元康」)は、織田軍の追撃を恐れ、尾張大高城から近臣18人とともに大樹寺へ逃げ帰りました。 しかし、前途を悲観した家康公は、祖先の墓前で自害しようとします。 そのとき、大樹寺13代住職の登誉上人(と

    家康の呪術 - finalventの日記
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