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ブログ・サイトと学習に関するAdYandWのブックマーク (2)

  • とあるブログの舞台裏 自分への要求が成長を超えないように

    なかなか満足のいく記事が書けないときがある。いつも書けないともいえるが。 対象がいまいちでどうにも創造性を刺激されないことがはっきりしている時はまだいい。深刻なのは「自分の実力はこんなものじゃないはずだ」と思ってしまう場合だ。 ログが増えれば増えるほど、底辺の幅が広がっていくのだから、同時に傑作の高さも高くなっていく。ようするに数撃ちゃ当たる。 ブロガー(少なくとも私)は栄光の記憶の方に強く引きずられ、目を背けたいような出来の記事のことはすっぱり忘れてしまう傾向がある。 つまり無意識のうちに記事の最低水準をあげていく。もちろん、テクニックやコツを身に付けて良い記事を書けるように成長していくことはある。この成長が最低水準を上回り続けていれば問題はない。 しかし、成長の限界にぶつかったり、初期に奇跡的な記事を書き上げたり――特にそれがニュースサイトに取り上げられたり、コメントで絶賛されたり――

  • 読めない・書けない - kmizusawaの日記

    ■読めない・書けない http://yumizou.blog1.fc2.com/blog-entry-829.html を読んで思ったこと。 ブログなどをやっていると、LD(学習障害)などで読み書き能力が損なわれているとか(実際これを自分でもわかってないとか、説明しても周囲に障害であるとわかってもらえない(努力不足と決め付けられる)という問題もあるらしい)経済的社会的事情で学校に行けなかったとかいう理由ではなく、とりあえず学校教育は受けておりこれだけ周囲に(雑誌やマンガやネットなども含めて)「読むもの」が溢れているのに「読まない」「読めない」人がいるということに対して「えー」となってしまうんだが… それは私の価値観であって、「読まない」人や試験のために必要と言うことでもなければ「読む必要を感じない」(その結果読めなかったりもするが普段はそれで困ってない)という人たちにしてみれば、こんな毎日

    AdYandW
    AdYandW 2006/02/25
    「読み書き」出来ない人は代わりにコミュニケーション能力があるということ?偏見だろうけど社会では「読み書き」よりコミュニケーション能力を求められる気がする。だからなのか、確かに必要性を伝えるのは難しい。
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