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ネットに関するAdYandWのブックマーク (186)

  • 縞瑪瑙の夢の国で劫初を想う距離感を上手く保つ為のツール

    ひりかさんの書かれた「synchronicity オンラインブックマークを利用していますか?」を読ませて頂き、私は、はてなブックマーク上にてコメントをさせて頂きました。其の私のコメントを受けて、ひりかさんが記事を書いて下さいました。其れが「synchronicity はてブでコメントもらったよ」です。 この記事を読ませて頂いた所、ひりかさんが「無論shimamenouさんが上記のようなことを考えているかどうかはわかりませんが」と書かれていたので、つれづれに私も書いてみようかと思います。 はてなブックマークの使い道は人それぞれだと思いますので、どの様な使われ方をしようが私はいいのではないかと思っている者です。私の使い方も他人とは少々違うとは思いますので、事情を知らない方にとっては不快に思われるかもしれません。何か言いたい事があればコメント欄で書いて欲しいと思っている方にとっては、私のようにブ

    AdYandW
    AdYandW 2007/07/21
    私の場合、ブログがそれに近いツールになっているような気もする。まあ、トラックバックも送らないから、一方的な繋がりだろうとは思うけど。
  • 知識=情報ではない - とは云ふものヽお前ではなし

    ネットの普及で知識の価値は下がったというけれど、なんだかその説は直感的に納得できない。 ネットで見たものは現実を目の前にすると消し飛んでしまう。を読んで得た知識のほうが、頭に残りやすいんだよな。どうしてだろう。馴れの問題なんだろうか。ネットだと何を見てもさらさらっと流してしまう癖がついているのかも。 私にとってはリニアの世界は動きがあって面白いし、別の何かは得ていると思うけど、知識を修めるのとはまったく別物だ。そういう面に限っていえば、良くて補助的なものでしかないように感じる。 もっとも媒体はどうでもよくて、そこから何を汲み上げるかという個人の資質の問題なのかもしれんが。

    知識=情報ではない - とは云ふものヽお前ではなし
  • ビースティーノカジノ - Beastinoで最高のオンラインカジノゲームをプレイ

    ビースティーノカジノ- Beastino Casinoであなたの内なる獣を解き放ちましょう。何千ものトップスロットの中から選び、テーブルゲームで順番を決め、ライブカジノで動物のアクションを楽しむことができます。 カジノを見る ビースティーノカジノ ビーストモードで行こうBeastinoは、最大のゲームコレクションを持つカジノの獣です。アカウントを作成するのに時間はかかりませんし、唯一の問題は、最初に何をプレイするかを決めることでしょう。 Microgaming、NetEnt、Yggdrasil、Pragmatic Play、その他多数のトップクラスのゲームプロバイダーがここにあります。Beastinoでプレイすれば、いつでもジャングルの王様になった気分になれるでしょう。 Beastinoで何千ものゲームをプレイスロットが欲しいなら、私たちにはスロットがあります!正確には3000台です。次の

  • アクセスログ(アクセス解析)と個人情報

    運用方針|案内所|ホーム 個人ページの公開法について アクセスログと個人情報 個人ページの公開法|組織の中の研究者・技術者|アクセス解析|アクセスログと個人情報|こまごました疑問|その他 読者の立場からアクセス解析等について書いています。 2004年3月28日 新しく 続編ページ を作りました。掲示板での書き込みなどをよくするかた向けです。 インターネットのページを読むだけで残る足跡(2003/9/13) アクセスログが取られているページを見分ける(2003/9/20) アクセスログに捕捉されないようにする(2003/10/5) アクセス解析についての私見のまとめ(203/11/1) アクセスログと個人情報:続編(2004/3/28) New インターネットのページを読むだけで残る足跡(2003/9/13) アクセス解析を利用しはじめて少し勉強したら、それまで知らなかったことが色々わかるよ

  • Ohno blog(2007-06-10) - ネット上の暴力

    ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...

    Ohno blog(2007-06-10) - ネット上の暴力
  • ネット対戦に向いた格闘ゲームのリスト - うさだBlog / ls@usada's Workshop

    # ラグは少なくなったとはいえ、なくなったわけではない。入力が実際に反映されるまでの遅延はpingが低くてもそれなりに存在する。特に全体スピードの速いゲームをやった場合、ラグの量が一定であっても、相対的にラグの影響力は上がる。だからなるべく全体スピードの遅いゲームの方が、ネット対戦には向いている。またシビアな目押しコンボやリバーサルが重視されるゲームも向かない。画面を見ないで連続入力しても入るような連続技なら問題ないが、視覚でタイミングを取る必要がある物は、入力の遅延によってタイミングがずれてしまう。 格闘ゲームは基的に、後年になればなるほどゲームスピードが上昇し、長い連続技を入れる事が前提のダメージバランスとなり、そのコンボの尺もひたすら長くなって行った。従って、一部の例外を除いて、格闘ゲームは後年の物になればなるほど、ネット対戦への適性(レイテンシへの耐性)は下がると言える。 プレイ

  • 「自分を語りたがらない人々」追記 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く こんなにコメントやブックマークコメントをいただくと思わなかったので、驚くと同時に感謝いたします。 別に大したこと書いてないのになぁ、と思ったんですが、あとから読み返して引っかかったのはここかなと。 以前は、どんな場でもなんとなくROM(read only member)がいることが暗黙の了解だったが、最近のネット環境だと、ブログ・日記にしろ、SNSにしろ、2chのような掲示板にしろ、twitterのようなミニブログにしろ、発信(発言)しない=いないも同然、という感触になっている。 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く いないも同然、が、私から見ていないも同然、とも読み取れますね。 そういう意味ではなく、ネット環境全体の中で、発信しない人の影が薄くなっている気がする、という意味でした。 私からみると、自ら意

    「自分を語りたがらない人々」追記 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分のべたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 「傷つける可能性」への言及 - Double Line

    http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070502/p2 kmizusawaさんと同じように、私も、そうした「傷つける可能性」というものに対して考えることがあり、それに対して自分自身怖くなることがあります。Webでは、仮に読者の性質に若干偏りがあるとしても「不特定多数」ですから、それら全部に意識をさせるということは私にはできない。だから今でもそれに対して、どうしたらいいのかと考えています。寧ろ、そう考えて不安になりそうになる自己こそ守る必要があるのかもしれない。 抽象的な概念を考えるときであれば、人間がそこにいる可能性は低いのですが、もしかしたらそこにいるかもしれない「他者」がいるような話題を扱う場合、必ず誰かが自分にあてはまるのだ、と考える可能性は生じることは避けられない。 以前、傷つけてしまうかもしれない他者がいた場合「どう受け止めるか」ということを考えま

    「傷つける可能性」への言及 - Double Line
  • サヨナナ: 黎明期であり過渡期だった

    黎明期であり過渡期だった 結局は何もかもが黎明期、過渡期だったことによるものなんだな、って思うのね。 俺が個人サイト(当時はホームページと呼んでいた)を始めたのが10年前で、その時の一押し企画が「Mind the gap!」って言うタイトルのアンケートコーナーだったのね。「目玉焼きにかける調味料は?」とか「夜、口笛を吹くと何が来る?」とか「じゃんけんの掛け声は何だった?」とか「サザエさんはお菓子を喉に詰まらせた時に何と言っていた?」とか、なんかそういうことをいろんな人に尋ねる企画だったのね。数十人の知り合いにメールを送りつけて返信をもらい、まとめて発表してたよ。でも……途中から気が付いたんだよね。「こういうのは不特定多数のたくさんの人が集まる場所でやった方がいい」って。それは今なら2ちゃんねるであり、デイリーポータルであり、mixiのアンケート機能なんだろうな、って。 その後に考えた企画は

  • どれだけいいリンク集を作っても元記事が消えてしまっては元も子もない - 『斬(ざん)』

    どうやったらいいデータベースリンク集が出来るのだろうかと、あれこれと考えていた。その中で参考となるのが先人達。つまり個人ニュースサイター。 でも、昔ながらの個人ニュースサイトじゃなくて、はてなブックマークなどの SBS(ソーシャルブックマークサービス)で参考となりそうなのは無いかと探していた。そこから辿り着いたのが ・はてなブックマーク - Web街道を逝く ご存知のとおり 『ぁゃιぃ(*゜ー゜)NEWS』のセミマルさんのブックマーク。そこにあった[★殿堂入り]タグを見てみる。 「:DOUBT:: 面白いブログの作り方 」 がクリップされているが、既に元記事が消えている。まだ昨年(2006年)の5月の記事なのに。とりあえず はてなブックマーク - :DOUBT:: 面白いブログの作り方 から遺跡を巡る。そこで、自分の分家で取り上げているのを知る。そこから自分の非公開データベース(ブログ形態

    どれだけいいリンク集を作っても元記事が消えてしまっては元も子もない - 『斬(ざん)』
  • メディアが結局負けない理由:しっぽのブログ

    カウンターメディアってのは弱すぎて、既存のメディアには勝てず、民衆の心も大きく動かせず・・・ しかし、そのカウンターメディアが強くなって社会を動かせるようになってくると 結局それはメディアの仲間入りになってしまうわけだよね。 うしとみしよぞ - 2ちゃんねるや痛いニュース(ノ∀`)は、もはやメディアだと思う。踊らされない方がいい。 いやあ、分かってたけども、テレホタイムとか言ってた頃に2ちゃんねるにやってきた(つまり2ちゃんねる先住民ではなくその次に来たあたりの)純粋無垢にネットの可能性を信じていた僕らの世代にとっては悲しいものですよ。 しかも踊らされてたことを指摘すると 「俺たちは分かってて踊らされてたんですよ~。えー、何そんなマジになっちゃって、ネタですよ、ネタ。いやだなぁ(笑)全力で釣りとネタでしょ?」 みたいに返答するからこれは嫌だ。 お前ら、「作ったが捏造ではない」って言ってるテ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 歩きながらネットが出来ればいいのに

    体の中に埋め込めたらいいのに。 そしたら料理しながら耳に仕掛けてある超小型装置で音楽も聞けて、信号待ちの時間で立ちながら検索も出来て、 半透明のスクリーンが自分の目の前35cmに映し出されて、それを指先だけで手も挙げることなく操作できて。 記憶も完璧に出来るし、思い出すことも造作も無いし、それどころかネットワークの活用による共有知だし。 眼に映るものをプリントスクリーンする装置が出来て、カメラも持ち歩かなくていいし。撮ってアップロードなんてことする前に、知人に直接見てもらうことが出来るし。 ゲームだって囲碁だって将棋だってバスに乗ってる隣のおじいちゃんと一緒にすることが出来るし。外国に行ったらチェスでも遊べるし。 ウイッシュリストを歩く人々に見せて、他の人が助けてくれるかもしれないし、自分の得意なことや興味あることを助け合えるかもしれないし、そしたらもっと人と人が繋がることが出来るし。 ス

    歩きながらネットが出来ればいいのに
  • パソコン見放す20代「下流」携帯族:FACTA online

    パソコン見放す20代「下流」携帯族 第二のデジタル・デバイド出現。パソコンは30~50代限りで、高機能携帯でもう十分。 2007年3月号 DEEP 衝撃だった。パソコン(PC)が使えない団塊世代以上の高年齢層の断層を「デジタル・デバイド」と呼ぶが、第二のデバイドが出現したのだ。20代の若年層である。まさか、と思うなかれ。高額のパソコンを持たない彼らは、インターネット利用を安価な携帯電話で済ませてしまう。PC族と携帯族の「デバイド」――それはネットにも「下流社会」が出現したことを意味する。 第二のデバイドが裏付けられたのは、ネット利用動向の調査サービス会社ネットレイティングスが昨年11月に公表した「データクロニクル2006・ファクトシート」。 2000年4月から06年3月までの6年間でのPCサイト利用者の年齢構成比のグラフがショッキングだった。これまでネット利用を牽引してきた20代の比率が劇

    パソコン見放す20代「下流」携帯族:FACTA online
  • ブロガーの私が期待するマスコミ像 - umeten's blog

    ガ島通信 - 「ネット君臨」問題が明らかにしたものは何か http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20070224/1172285964 こちら(↑)に見られる典型のように、 声高にマスコミを批判して「時代遅れ」や「不必要」だとののしっても、じゃあ、いざそれらが当に立場をなくしてしまい、存在できなくなったとしたらどうなるのか。 こちら(↓)の指摘どおり、 (適宜覚書はてな - 「CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか」を読んで) 「正義はネットにあり」というバイアスが強すぎるのではないか。 適量を越えたカウンターはバランスを崩すだけだ。 この自己責任化した社会で、個別に切り分けられた社会で、個人単位に分割統治が徹底完遂された社会で、いったい誰が俯瞰的・鳥瞰的問題を指摘するというのか。 そう

    ブロガーの私が期待するマスコミ像 - umeten's blog
  • それはあなたの「本音」ではなかろう - la_causette

    「匿名だからこそ音が言える」という人たちがいます。しかし、匿名の陰に隠れた個人攻撃がネット上で行われているとき、それって彼らの「音」の発露なんだろうかということが疑問として生じてきます。 そこで語られていることというのは、「匿名で無責任に語れる場があるか否かにかかわらず言いたくてたまらなかったこと」ではなく、「匿名で無責任に語れる場があるか否かにかかわらず内心そう思っていた」ことでもなく、「匿名で無責任に語れる場があるからこそ言いたくなったこと」なのではないかと思うのです。つまり、彼らはもともとそこまで醜い人格をもっているのではなく、「匿名で無責任に語れる場」があるからこそ、そこまで醜くなったのではないかと思うのです。 というのも、その種の発言って「読む人に不快感を与える」という以上の意味がないことがほとんどであり、このような内容を「匿名で無責任に語れる場があるか否かにかかわらず言いた

    それはあなたの「本音」ではなかろう - la_causette
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 誰のせいでもなく,本人の素質の問題 - ただウェブに駄文を綴るのみ

    特定のイタイと言われるような人の行動をウォッチしたり,その人物の言動などをまとめたテンプレを作ったり,それを元にネタにして笑うという行為などはWeb上のあっちこっちで見かけます。 そういった行為に対して何か批判的なことを言った時に興醒めする反論が「相手がイタイ奴だから」とかいう言葉。 ウォッチやネタにする人にも当然その行為を行う基準というものがあって,一定条件を満たした時にそれらの行為をする。その行為自体は,余程出来た人間でもない限りは誰しもが少なからずやっていたり,その行為に荷担していたりするものと思ってます。 しかし,そんな行為も時には目に余ることも起こります。 目に余ると感じた特定個人へのウォッチやネタ扱いなどの行為を「相手がイタイ奴だから」といったことを始めとした相手に問題があるというようなものや,反論を目にすると,どうにも頭がお花畑になっているんじゃないかと思えるのです。 確かに

    誰のせいでもなく,本人の素質の問題 - ただウェブに駄文を綴るのみ
  • 匿名について - kom’s log

    ネットにおける匿名の記事発信に関してはあるていどコンセンサスのある見解が流通している。すなわち次のようなことだ。ネット上においては言論がすべてであり、その内容と経歴によって人格が形成される。したがって匿名であっても個別認識が可能であり、戸籍に登録された氏名よりもよっぽど意味のある場合だってある。 この論理に私はうなずく。なるほど、ということでじゃあ実は匿名ではなくてネット実名なわけね、と得心する。しかしながら、だからネット実名で戸籍実名を批判することは正当である、といわれると私は留保をつけたくなる。なにやってもいいわけではない。順番に説明する。 ネット実名の個人が互いにその世界の内側で罵倒や応酬を繰り返すだけならば私はどんどんやればいい、と思う。でも少々事情がかわるのがネット実名とネット匿名のクラッシュだ。ネット匿名に対してネット実名は脆弱である。なぜならば、ネット実名には守りたいそのネッ

    匿名について - kom’s log