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コミュニケーションに関するAdYandWのブックマーク (422)

  • ポジティブエントリは無くならない - 出られないから仕方なくここにいるよ。

    はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろここを見て考えたこと。 心配しなくても大丈夫。回復の為の糧に乏しいネガな人達は叩かれ続ければそのうち気力が尽きる。運良く状況が好転したネガティブさんはポジ側に転向する事もあるし、単に口を閉ざして「引退」する人もいる。なので、ネガな人が新たに生まれる速さよりも、「見なければ良いのに」を受け入れないポジティブさん達が、ネガティブさんを殲滅する早さが上回ればそのうち絶滅する。逆にネガティブさん達が頑張ってネガティブエントリをアップし続けて、ポジティブエントリを殲滅しようとしてもそれは不可能だと思う。ネガエントリを読んで不快な気分になったポジティブさん達が、同じ気分を共有する相手を見つけるのはネガティブさん達よりはずっと容易だし、気力を回復させる手段も

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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  • 上手な生き方といい生き方。現実と理想。 - Hilの日記

  • 表出と表現の間で: ルサンチマンな日記

    2009年01月(1) 2008年11月(3) 2008年10月(3) 2008年09月(3) 2008年07月(2) 2008年05月(1) 2008年04月(2) 2008年03月(1) 2008年01月(3) 2007年12月(2) 2007年11月(2) 2007年10月(2) 2007年09月(3) 2007年08月(2) 2007年07月(2) 2007年06月(2) 2007年05月(4) 2007年04月(4) 2007年03月(4) 2007年02月(3) 松岡さんから頂いたTBで、 「匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは」 を読んで、僕も松岡さんと同意見です。 プロダイバにHPやブログを開設して継続的に更新して、同じHNを使い続けていればそのHNはその人の人格の一部になるし、まともな発言を続けていればそのHNに対して信用も生まれるでしょう。 自分のHNに対す

  • 言葉と音楽 - think two things

    音楽は、言葉が通じなくても伝わるコミュニケーション・ツールとして扱われている。演奏者と聴衆の間には、基的に言葉を介す必要がない*1。音楽を作り、響きを届けて、色んな受け取り方をする。その幅が面白い。音楽凄い。 けれども音楽の作り手同士の場合は、そんな態度ではいけないのではないかと思う。例えば同じ言語を話す奏者同士である場合は、まず言葉で伝え合うほうが良い方向に音楽を導くのではないか。「このフレーズをこう演奏したい」「あなたの今の音色は全体の響きに馴染まないと思う」「もっと精度を上げて欲しい」「イントネーションが不安定だ」、色々な意見の交換をする余地が、音楽をする者同士にはある。意見交換することで洗い出された課題を、音楽で実践し検証していく。言葉を超えたレベルで音楽をするためには、言葉の効能を使い尽くしてからでなくては。 音楽を一つにするためには、後悔や不完全燃焼な雰囲気は残して欲しくはな

    言葉と音楽 - think two things
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    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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  • 意見を言うのはやはり

    的に同意して欲しいからだ。 基的に人間、同意して欲しいから意見を言うのだ。 しかしそれは、適当に「そうだねはいはい」と言われたいわけでも当は反対だけど同意(まあこんなの見抜けなきゃ同じことだが)してほしいとかそういうわけでなく。 意見を言う動機ってのは、「誰かが俺の意見を『ああ、確かにそうかも』と言ってくれないかな」という期待が元なんだって事。 当は反論なんて望んでる人間はいない。学者にならいるかもしれないけど。 相手の意見が聞きたいとかいっても、基的に同意を望んでる。相手が同意するのを聞きたいってのとほぼ同じ。相手の意見が聞きたいとかいっても相手が反論してきたりけちつけたりしてきたらほとんどの人間がむっとする。なぜならそれらの反論は、大抵その人間にとって「的外れ」であるからだ。「反論なんてするな!」というより「あーあ分かってないこいつ」としか感じられない。当にそうなのか、そ

    意見を言うのはやはり
  • メッセージ。 - ノッポさんと「小さい人」

  • 違う人間≠敵対する人間 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    私とあなたは違う人間。あなたと私は違う人間。私と他人は違う人間。 これは当たり前といえば当たり前なのだけど、これを安定して受け入れるためには、それなりの基盤が必要なんだろうと思う。 言うなれば、違う人間=敵対する人間、ではない、という認識。 この認識は双方向ある。一方向は、自分と異なる考え方、感じ方をする人に対して、それは違ってる、よくない、だめだ、と攻撃する必要は必ずしもない、ということ。*1 もう一方向はその反対。自分と異なる考えや感じ方をもつ人はすべて、常に、自分を攻撃してくるというわけではない、ということ。 自分が何か意見を述べたとき、「自分はそうは思わない。かくかくしかじかと思う」と言われたとする。「ああ、そうか、あなたはそう思うんですね。私と違いますね」と返す。 なんらかの結論を出さねばならない議論のように意見のすり合わせを行う必要がない場合は、これで済んでしまうはずなのだが、

    違う人間≠敵対する人間 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 空気を読めと言う人は会話が下手かもしれない:しっぽのブログ

    昨日の風はどんなのだっけ? - 40代以下の芸人が、タモリ・さんま・所・鶴瓶を脅かせない一番の理由 (空気を読むことについて) かつて僕の盟友がこれを押しつけることを「ファシズムだ」と看破していたように、このブログエントリーでも一般の人がこんな事を気にする必要はないと言ってますが、当にその通りだと思います。 プロ同士でこれを言うのは構わないと思うのですが、素人に対してプロが言う、もしくは素人同士でもそういうのを要請するようなムードを煽ったプロというのは、僕はプロとしての評価をどうしても割り引いてしまいます。やっぱりお笑いの空気を読めない人から、お笑い的な面白い物を引き出す人というのが、やっぱり一番優れたMCが出来るホスト役の芸人だと思うのです。 まあ完全に同意できるわけではないけど、こういう意見の流れが大きくなって欲しいところです。 新婚さんいらっしゃいの例は、うーん、層が層だけに・・・

  • 努力を支える努力、ということ - 赤の女王とお茶を

    先日、就職活動で長く苦戦していた芸術(絵画)系の後輩がなんとかえそうな仕事にありついたようで、とりあえず一安心。 まあ専門ドンピシャというわけではないけれどまずまず技術も活かせそうだし、なにより「仕事サイクル」に乗れたことがよかった。バイトだけだとジリ貧ですからね。 彼は何度か賞を取った事もあるし、才能は間違いなくあると思います。もちろん努力もずっと続けていた。ですが生活を支える仕事にはなかなか恵まれませんでした。 今回彼がその仕事についたのは当然そういった努力が実った、ということもできるしその通りだと思いますが、そこに巡りあわせというか一種の偶然が働いたことも否定できません。 ある人物に出会い、ある話をしなければこの就職はありえなかった。 特に意図的に異なった工夫をしたわけではありませんが、ちょっとしたきっかけから、彼の努力や才能が報われることになったのです。 そしてまた、彼の努力は彼

    努力を支える努力、ということ - 赤の女王とお茶を
  • 聞き上手の相手はいつも喋り上戸な件

    http://anond.hatelabo.jp/20070829203938 聞き上手って、相手に気持ちよく話をさせることで良好な関係を築ける人のことでしょ? たまに「聞き上手マニュアル」とか見るけど、まるで話し手という人間を見下したものが多い。 喋りたくて喋りたくてどうしようもない心境の人間に対して「頑なな聞き役」であろうとするのは聞き上手の1ケースにすぎない。 当の聞き上手は、相手の話し方や求めることに対応してくれる人だと思う。 自分の会話をまとめて欲しい人、理解したかをハッキリ示して欲しい人、おかしい点を指摘して欲しい人、思考の言語化を手伝って欲しい人、自分のペースで言語化したい人などなど。 話の内容によっても聞き方は変わる。 雑多な会話、恋愛相談、失恋話、人生相談、経験談、ディスカッション、電話応答などなど。 様々なケースにおいて相手が気持ちよい聞き方を探れる経験や勘や洞察や分

    聞き上手の相手はいつも喋り上戸な件
  • - heartbreaking.

    Unknown/あー Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/あー Unknown/頭おかしすぎる Unknown/頭おかしすぎる Unknown/頭おかしすぎる Unknown/頭おかしすぎる

  • 相手の価値観を尊重するということ。 - オオカミの遠吠え通信

  • コミュニケーションって、おもてなしでしょ? - 旧 はてブついでに覚書。

    コミュニケーションって、基的に、相手さえ良ければいいと思っていて、 そういう考えで10年くらい過ごしているけれど、個人的には全然支障がない。 今のところ、自分にストレスもフラストレーションもないし、嫌いな人っていない。 ところでさ、人ってみんな、「当の自分を分かって欲しい」とか思っていながら、 他人に求めているのは「自分がこう見て欲しいと思うように見て欲しい」ってことだよね。 自分でも直視できないような思いっきりベタな自分を発掘されたいわけじゃないでしょ。 その証拠に、当のことを言われるとみんな怒る(私も怒る)。 こう見て欲しいように他人に見られると元気になる。私は。 特に、「ほんとはこうなんだよね」って、ほんとはこうなんだよねって言って欲しいなって思ってること言われると(笑)。 だから、私も他人の志向に沿って他人を見る。 ていうか大抵、「自分ってほんとはこうなの・・・」と自分が真剣

    コミュニケーションって、おもてなしでしょ? - 旧 はてブついでに覚書。
  • @tarosite

    正直なところ、「○○元年」というフレーズは色々な人が色々なタイミングで発するので、明確に「ココ」というのはかなり後から、むしろそのトレンドが終演しつつあるあたりで整理することができるものだと思いますが、「メタバース元年」は2022年あたりになりそうだ、といわれています。

    @tarosite
  • 「空気嫁」の傲慢さについて - sekibang 1.0

    最近のブクマ動向を見ていると「空気を読むこと」に関するエントリに人気が集まっているように思います。それだけ他人との人間関係を上手くやっていくことに関心が高まっていることでしょうか。あるいは、にちゃんねるなどで強く規範化されている「空気嫁」という同調圧力は、いまや広く一般社会でも共通して存在している、ということなのかもしれません。 来ならここで私も「空気が読めるようになる方法」を披露し、人気ブロガーへの道を一歩進めるべきなのでしょう(エントリのタイトルは『死ぬまでに実践したい10の空気の読み方』とかで)。しかし、ちょっと待ってください。 「空気嫁」言説においては、読まれるべき空気が存在するかのように扱われています。空気が存在すること、それは自明のことになってします。例えば、すごくお喋りな人が一人いて、終わりがないんじゃないか……っていうぐらい話を続けている(しかも話がつまらない)、なんて状

    「空気嫁」の傲慢さについて - sekibang 1.0
  • 敬語が蔓延する社会は余り住み良い社会ではない - hasenkaの漂流記

    敬語は難しくて分かんな〜い、などと言っている中高生も自ら敬語を求めている。それは先輩後輩の関係とか口の利き方分かってないなどという行動からも伺われる。そしていじめの体質もこの敬語が大きく関わっているような気もする。敬語が発達したのはいじめの対象から逃れるという側面もあったはず。あいつは口の利き方を知らないから懲らしめてやろう。これがいじめのはしりの面もあるかもしれない。ほんの些細な口の利き方で感情が沸騰する。まったく生き難い世の中である。そんなに我々は気を使わなくてはならないのか。もう、うんざりだ。敬語なんか無くなっちまえ。どんな奴ともお前とおれでいいじゃないか。そんな事言っているといきなり刺されかねないのが日である。だから敬語が発達した。無限ループ。昔から湿度が不快指数が高い日でつい頭にきて殺傷ごとや暴力沙汰は日常茶飯事でその為に切腹になったり都落ちさせられた人は数知れず。それを防ぐ

    敬語が蔓延する社会は余り住み良い社会ではない - hasenkaの漂流記
  • 直接のコミュニケーション - think two things

    「メール」というコミュニケーション・ツールが普及して、電話の地位が上がった気がする。かつては「電話ですまさないで、直接会って話しなさい」だったのが、「メールですまさないで、電話を一入れなさい」になることが増えたのではないかと。もちろん、直接会って会話をする以上に、刺激的でシビアで楽しいこともないのだが。 一番良くないのが人伝いのコミュニケーション。「こう言ってましたよ」、「こんなこと考えているらしいよ」とかは、出来るだけ聞きたくない。言わないようにも気をつけたい。「メールで言わないで、直接言えばいいじゃないですか!」なんて意見が人伝いに伝わってきたり、意見を伝えたい対象の居ないところで言ってるのを見たりすると、「その意見を直接言えばいいじゃないですか」と思うので、次そんなことがあれば直接言おうと思う。 メールというだけで、メール経由で来た意見を軽く見る人はまだ少なくない。けれど電話と違っ

    直接のコミュニケーション - think two things
  • 違和感

    大学に入るととたんにアルコールを飲むことを半ば強制的に文化として受容せざるを得ない、というのはなんとかならないものか。とくに大学入学以前の友人アルコールを飲むことに私は強烈な違和感を覚えてしまう。 つい数か月前まではアルコールの存在なしでも普通に会話をし、普通に楽しくやっていた仲なのにもかかわらず、突然彼らとの付き合いが「飲み」一辺倒になってしまうことが残念でたまらないのだ。 無駄にmixi上で「自分はこんなに酒を飲んでいる、えらいだろ」といわんばかりの「一人だけ空気を読まず酒を飲んでいました」的主張をする人間もいる。高校生の時の彼はアルコールを飲むような人間ではなかったから、大学生になってからアルコールに触れたのだろう。そういう彼が、4月1日を超えた瞬間に「自分はアルコールが大好きだ」と主張し始めるのだが、なんだが「アルコールが飲めるやつほど素晴らしい」という大学生にありがちな残念な価

    違和感