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  • 李氏朝鮮の呪い  近現代史の旅 NO17   7月9日(月):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅17回目です。前回と前々回で李氏朝鮮の悲惨な実態と 国際情勢がまるでわからないまま、中国の属国として1000年の眠り からまだ覚めていない朝鮮半島のおぞましい状態が分かっていただけ たと思います。 そして日が放置すれば半島は間違いなくロシアのものになるということ も理解できたと思います。そして次に起こるのはロシアを中心にした欧米 列強の日分割統治です。このままなら明治政府は日国民を危機にさら すことになり、座視など出来ない。 この危険な東アジア状況を前提にして、日清戦争、日露戦争、日韓併合を 検証しなければ歴史の真実は見えてきません。そして明治政府の選んだ道 以外にいったいどんな方法が他に有ったというのでしょうか! 日ロシア

  • 眠り続ける朝鮮半島、近現代史の旅 NO16 7月6日(金):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅16回目です。日韓併合が単純な日の朝鮮侵略史として 日韓国の教科書に書かれている間違った歴史認識を正したくて、 今日も当時の国際状況と李氏朝鮮の実体を検証したいと思います。 何回も書いてきたように、よちよち歩きの明治政府にとって、欧米列強が ひたひたと迫ってくるアジアの情勢は恐怖でした。その中でも特に最強国 ロシアの圧力に危機感を募らせていました。 すでにロシアは朝鮮国境にまで領土を広げています。もし朝鮮がロシア に支配されれば、日の国土防衛そのものがほとんど不可能になる。 明治政府は朝鮮の独立と近代化の必要を何回も説いても朝鮮は聞く耳を 持たない。 李氏朝鮮はこの時点ではあまりにも情報不足で危機意識がまるでありま せん。それ

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/07/07
    日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもないという福沢諭吉の120年前の言葉は今も同じです。
  • 「日韓併合」の動機 近現代史の旅NO15 7月4日(水):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅15回目です。今日は日韓併合について、当時の世界背景を しっかり念頭に置いて李氏朝鮮という国を冷徹に検証してみたいと思い ます。 まず李氏朝鮮という国の実体を知ることから入らなければ、日韓併合が 単なる日の朝鮮侵略でかたづけられてしまいます。 李氏朝鮮は1392年に高麗を滅ぼして成立してから日韓併合まで519年間 存続した長期の王朝でした。その数百年間、陰謀と策謀と裏切りに満ちた 政権獲得競争を延々と続けてきたのです。 1863年、国王の座についたのはわずか12歳の高宗でした。その父「大院 君」が国政の実権を握りました。ちなみに日の明治維新は1868年です。 日はご存知のように猛烈な勢いで西洋を取り入れ、国家の近代化を進め てい

  • ポーツマス講和会議  近現代史の旅NO14   7月2日(月):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅14回目です。日露戦争は日の国力をはるかに超えた戦争 になることは明治政府はよく分かっていました。それ故この戦争は長期 戦になると勝つ見込みがない。 伊藤博文は金子堅太郎を呼び出して「直ぐにアメリカに行ってくれ、初期 の段階においては、総力をあげてロシアと戦って、なんとか5分5分か 或いは6分4分にもっていく、その段階においてアメリカのルーズベルト 大統領に間に入ってもらって、日ロシアの間を引き分けにしてもらう ように働きかけてもらいたい」と言って金子をアメリカに行かしています。 金子堅太郎はハーバード大学でルーズベルト大統領と同級生です。金子は 最初「私にはそのような力はありません、荷が重すぎる」と言って断って います。伊藤博

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/07/02
    東日本大震災で、オロオロして何もできず対策が遅れたのは、民主党議員は過去、自衛隊を攻撃し、警察が充分に動けなくなるように、ことあるごとに左翼思想を振り回してきたからです。
  • 日露戦争開戦の決意 近現代史の旅NO13 6月29日(金):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅13回目です。明治38年5月28日、日海海戦で日は 大勝利しました。野球で言うならまさにパーフェクトゲームです。 完全試合は日のプロ野球ではこれまで15回記録されています。しかし 艦隊と艦隊の海戦での完全試合は後にも先にも日海海戦だけです。 当時のロンドン・タイムズという世界的な大新聞に次のような社説が載り ました。「日海において日の海軍とロシアのバルチック艦隊とが 戦った。一方のロシアのバルチック艦隊は全滅である。これに対して日 はほとんど無傷である」 さらにタイムズは「この日の大勝利はどこに原因があるかというと、 日の海軍の軍艦が優秀でも、大砲が優秀でも、戦術が実に巧みであった のでもない。実にかかってそれは精神

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/06/29
    昔の日本人は偉かった
  • 日本海海戦  近現代史の旅、NO12    6月27日(水):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅 12回目。当時文明国と自認している国は、英、米、独 伊、露、オランダ、仏、などの国がお互い文明国と認め合っていました。 しかし声を大にして言いたい、これらの欧米列強の国より日の方が はるかに文明国でした。 前回でも指摘したように当時の日の識字率は75%と欧米諸国より教養文化において圧倒的に上でした。日は江戸時代に既に自然発生的に寺子 屋があり武士階級の子弟のための藩校が並立して存在していました。 つまり日は江戸時代からすでに世界一の教育立国だったのです。 明治政府は一挙に近代学校制度を作り上げようと江戸時代から続いて いる寺子屋を小学校に転換しました。その数はわずか数年で2万6千ほど の小学校を設置しました。 明治19年

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/06/27
    日露戦争は野蛮人と称された虐げられた民衆を勇気づけ、新しい夢を与える歴史的な夜明けでした。
  • 日露戦争斜め論  近現代史NO11   6月25日(月):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅 11回目です。徳川幕府を倒し新しい政府を打ち立てた 維新の志士達は、富国強兵・殖産興業を合い言葉に近代国家を目指して 新しい国作りを始めました。 明治政府の国家目標は欧米列強の植民地にならないことでした。当時の 日を取り巻く地域はすでにほとんど欧米の植民地にされていました。 このことを常に踏まえて日の行動を見なければ日の行動を理解できな くなってしまいます。 今の時代に生きる人の感覚で当時の歴史を眺める愚を侵してはならないと いうことです。つまり当時の国際情勢と日の置かれている状況を前提に して検証しなければ何も見えてきません。 国際社会に参入した明治政府は、東アジア世界の中でどのように歩み、 そしてロシアとの戦争を始めるに

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/06/25
    ロシアの捕虜となった日本兵の書いた論文が欧米の新聞に紹介されると一兵卒すら論文が書ける日本の文化度に欧米の識者は驚愕し、貴族中心の教育制度から、庶民を含めた教育制度への社会改革をもたらしたほどでした。
  • 大英帝国と日本 近現代史の旅 NO8    6月18日(月):中韓を知りすぎた男

    中国韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネスで知った彼らの質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 近現代史の旅 8回目です。幕末・明治維新においてイギリスの影響が いかに大きかったか、日を世界に対して目を開かせたイギリスの役割 がいかに大きな意味をもっていたかを今日は考察してみます。 前回は「薩英戦争」のことを書きました。この戦争によって薩摩藩の志 士たちが信じきっていた攘夷論が井の中の蛙であることを嫌というほど 思い知らされました。 いわゆるいくら砲台を築いても大砲の威力が違いすぎた。たった3時間 の交戦でこれほどの被害を受けては、反撃すらおぼつかない。攘夷が いかに愚かなことであるかを薩摩藩は思い知らされました。 一方イギリス側も旗艦・ユーリアラス号は館長と士官が戦死し主甲板に は破裂弾を喰らい多数の死傷者を出し戦線離脱、パール号も砲撃

    Alpha_Centauri
    Alpha_Centauri 2012/06/18
    薩摩も長州も、狂気と思えるような尊王攘夷を唱えているうちに薩英戦争と下関戦争(馬関戦争)によって突然尊王開国に変わってしまった。日本の進むべき道を悟らせてくれた重要な起点となる事件でした。