平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな
コメント欄ではリンクが反映されないのでついでに記事としてアップ。 書き足りない事もあったし。 私はこのCMが非常に差別的というか、ここに出ている男性を見下してあざ笑っているかのようで非常に不愉快なのだけれど、多くの人の目には一体どう写るのだろう? 私は自分自身の視点や価値観を重視しているので、自分が「価値がある」と思ったものが貶められても別に気にはならないし、逆に私にとってくだらないものが賞賛されてても気にはならない。疑問に思う事はあっても。 なぜなら、私は私と他者の価値観が一緒だなんて欠片も思っていないから。 自分自身の価値観を重視するけど、信用はしていない。つまり正当性を持っているとは思わない。 なので、「私は不愉快だ」→「不愉快に思っている人がいるはずだ」「皆が不愉快に思っているに違いない」みたいな発想は出来ないのである。 だから「これは不愉快なので無くしましょう」と呼びかけたりはし
アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep
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