すり替え女の御託にゃうんざりさせられたぜw - 消毒しましょ! 前のエントリを書く際に色々参考にさせてもらった消毒の野郎が噴きあがっていて、「反社会的と目されている表現の正当性を主張できるというのであれば、それを見たいと思っている」らしいので、正当性を適当に主張してみる。 とはいっても、俺の脳内理論だけでは心もとないので、図書館から適当に借りてきた、瀬地山角の『お笑いジェンダー論』を参考にしつつ。この本は、講演の書き下ろしや新聞で連載していた短いコラムなんかがまとめられて、専門的な話になりすぎず、比較的読みやすいので、フェミニズム関係に興味を持ち始めた人にはまずまずお勧めします。 本書の中の「性の商品と性差別」という2ページほどのコラムの中で筆者はこのように書いている。 現実の性の商品に性差別的なものが含まれていることは疑いない。しかし同性愛・「変態」など、多様な性を保証するのが商品だとす
だから、何で「表現の自由を訴えていることを理由として」なの? なぜ? ってわかんない理由がわかんないや。ある種の表現を法で規制すべき、と主張する人間はその種の表現が引き起こす(ないし引き起こすであろう)被害の問題については「法規制すべき」と主張するというかたちですでにコミットしているのだから、それとは別のかたちでのコミットメントをことさら要求すべき理由がない*1。彼らに求めるべきはむしろ「法規制するとして、それから?」という問いに取り組むことであろう。 ある種の表現についての(現状よりも踏み込んだ)法規制を拒むことによって放置される問題については、法規制に反対する人間が率先してコミットするべきであるのは当たり前のこと。だって、自分の主張が受けいれられた場合の帰結にどう対処するか、って問題なんだから。自分の主張が持つ含意に責任持てない人間は、それこそ黙っててもらうしかないだろ。 *1:もちろ
そしてちょっと蛇足かもしれないが、世の中には「本人がなんの不満も感じていないのに、実質的にレイプ」という形態もたくさんあると、私は思っている。 それはたとえば、あのとき先生が話をしてくれたアフリカの子供などだと思うし、実の父娘で幼いころからセックスをしていて「父を愛している」と真顔で語っちゃう娘(ニュースにもなっている)だったりするのだと思う。 たぶんレイプという状況の判断基準は、感じるか、感じないかでもないし、望んでいるか、望んでいないかでもないのだ。 そういう認識が、もっともっと世の中に広まってほしい。 そう、たとえ一般的な合意の上での恋愛だったとしても、 それがレイプでないとは言えない。 どんな恋愛だって、ごく公平に見れば、相手を甘言で騙して夢を見させ、 その上で搾取するという構造があるのだ。 無論、結婚だってそうだ。それに、男女間だけの事とも限らない。 男同士、女同士でもレイプは存
Thomas Beatie, a married man who used to be a woman, is pregnant with a baby girl - Times Online Womanist Musings Report: 'Pregnant Man' Gives Birth Again - Babies : People.com 昨年女児を出産したことで有名になったFTMトランスのThomas Beatie氏が、新たに第2子を身ごもったというニュース。 Beatieさんは女性として生まれた後に性別適合手術を受け、法的にも男性となって女性と結婚している人です。妻のNancyさんが過去に子宮摘出手術を受けていて妊娠できない体であった一方、Beatieさんの方は女性器が残してあったため、彼は2008年に人工授精で子供を産みました。彼はこのように述べています。 「不妊手術は性
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